37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

クッパ

先日、コムタンもどきみたいな牛肉のスープを作った。安く買った牛肉が冷凍庫にあったのだ。

 

翌朝は、そこにご飯を入れてクッパとして食した。最近何かと食事では私を困らせる長女が、珍しくパクパク食べており「これ何?」と尋ねてきたので「クッパだよ」と答えた。

 

すると「クッパーーーーーー!!」と叫び、クッパ、好きぃぃ!!と言うではないか。クッパクッパ連呼している。どうやらクッパという響きがかなりツボのようだ。

 

その日の昼、次女用に作っていた味噌汁(次女はニンニクで腹を下すので、そのスープは飲めない)の中にご飯を入れ、「クッパだよ、食べる?」と長女にきくとめちゃくちゃバクバク食べた。単なる味噌汁ぶっかけ飯だが、汁ご飯なので、別にクッパと呼ぶことについて嘘はついていない。

 

その翌日は鶏ガラベースの卵スープだったが、起床した長女に「クッパ、食べる?」と聞くと「クッパーーー!!早くちょうだーーーい!!」と大歓迎なご様子で、その日もバクバク食べた。これを書いている本日も、「クッパだよ」という声かけにより豚汁をかけたご飯をしっかり食べていた。

 

マジ、クッパ

別に普段と同じような物を作っているだけである。汁ご飯にするだけのことで、米を投げ付けられない、汁物のお椀を逆さにしない、ていうか食わない問題、「クッパ」の呼び名ひとつで解決するとは。この日々がたとえ明日終わろうとも、3日続いただけで超、心にゆとりだったわ…

2歳と1歳は私を這いつくばらせるプロ

「子供には添加物のない、安心な材料でできる限り手作りのものを」「食育とは、すなわち命を育てること」「自分はともかく、子供には栄養バランスを毎食しっかり考えて」「食事の時間にはメリハリをつけ、感謝して頂くことを教えたい」

 

 

………上記のようなことを思われる母親は多いであろう。私もゴリゴリにそう思っていた。そして上記のようなことというのは、「現実の恋愛」と「エロゲー」くらい話が違うものであるという事実に打ちのめされている母親も、やはり多いのではなかろうか。

 

おい。マジで思うよ、おい、と。

手作り?バランス?食育?栄養?はぁ?それ、食えばの話だろ?

 

食わねえぞ2歳児ぃぃぃぃぃぃ!!!!!!

 

我が家の長女、現在2歳は、これまで食事のことで困ったことがなかったのである。常にしっかりと、栄養バランスを考えて出した食事を完食し、食欲旺盛で和食を愛し、野菜も何でも食べ、デザートに出す果物を大喜びし、オヤツもミニトマトとかで非常に健康的な食生活にて生きていた。米の味に敏感で、うちは夫の地元が新潟ゆえ基本、新潟産コシヒカリなのだが何かの拍子に違う銘柄にしたり安い物で間を繋ぐと顔をしかめる様子を1歳頃から見受けられた。また味噌汁にかなりのこだわりを見せ、こちらとしては味噌汁にはおかずよりも気合が必要であった。

 

過去の話である。いつだって、昨日は過去である。そう思わないと生きていけない。1時間前も1分前も、もう過去なのだ。過ぎ去ったのだ。現在の長女はまず、食事を「食べない!」と言い張り、ひっくり返したりする。酷い日は、わーいごはんだ〜とはりきって席について開口一番「これ捨てる!」と言われる。(目玉焼きだけはそっこー食べる)と

 

そしてゼリーだのバナナだのを要求し続ける。ご飯だよ〜と席について5秒後だ。5秒で食わねえと言われてひっくり返された料理、止むことなく大声でゼリーだのバナナだのを要求する声、そして何が輪をかけるって現在1歳の次女だ。彼女は絶賛つかみ食べの時期におり、長女がひっくり返したものを物凄い顔で取ろうとし、全身を汁やら米粒まみれにしながら、エプロンという存在がどれだけ無意味かを痛感しつつ私の心は宙を舞う。

 

私は騒ぐ長女をチェアから下ろすが、彼女はゼリーだのバナナだのが出されないことに怒り狂いあらゆる暴動を起こす。本日は手当たり次第オモチャをぶん投げておられた。そのような中でも次女は冷静に米粒マンとして全身にますます米粒を身につけ、あらゆる方向へと掴んだ食べ物を投げ飛ばし、数メートル後ろにあるはずのTVの画面やカーテンも米化し、また私の顔などにもぶつけられつつ、ニコニコと愛らしい笑顔を振りまいてくれる。

 

さて、本番はここからだ。長女はソファなどに場所を移動し、TVでも見ながらだと気まぐれに私に「アーン」を求めてくる。そうするとさっきまで「食べない、捨てる!」といっていた同じ料理を、食べるのだ。たまにだけど。

 

もはや、「食事中はきちんと食卓について集中して」とか、クソどうでもいい。食うか食わねえかだけだ。そしてこの時の我が家の床の気持ちを考えようではないか。床はいつも泣き叫んでいる。「もう、デンプンになっちゃうよー!!」と。

 

前述の通り次女は米粒マンとしてプロなので、数分のうちに部屋中に米粒を撒き散らす次第であり、それを怒り狂ったゼリー求道者の長女が駆け回ることにより米は部屋から廊下へ、トイレや洗面所まで、駆け回る全てのところへ跡を残す。人の人生とは歩んだ道跡、というものが見えるものだが、まさか1日に3回もそのようなことを実践的に教えて頂くことになろうとは。その訓練は修了の日を告げ知らされず、毎日繰り返される。

 

長女を追いかけると私の靴下の裏にも嫌な感触が芽生える。踏んだのだ、米粒を。次女は笑って、最近お得意のおててふりふりをしながら私を見つめる。さすがプロの米粒マンよ。

 

ここまでで1600字も来てしまった。ねえ、でも気付きました?ここに至るまで私、1ミリも片付けはできてないんですよ。

 

ここから掃除を始めます。乾いてない米は掃除機で吸えないので、ひたすら手で拾います。求道者と米粒マンはお構いなしに私に抱きつくがため、私も米粒ババアへと変身を遂げ、バナナが欲しい気持ちになってくる気がしないでもない。

こぼされた汁のところは洗剤を叩いて…などなどやってるうちに1時間は経ちますよね。ハア、片付いた、洗濯しよう、なんてやってるとさ、もう次の食事の時間です。

 

振り出しに戻る。おい!

春を巻くとは

皆さんには、忘れられないあの人というのはおられるであろうか。人によっては、過去の恋人の存在があまりに大きく、その後別の存在と新たに出会い、また付き合い、距離を縮めても尚、その存在を超えることができず、目の前の相手に申し訳なさが募り、しかしそんな本音を抱いている己れにこそ苛立ちは向き、もう変わりたいのだなどという思いでますます強引に新たな関係を結ぼうと躍起になる…

 

そんな経験ありませんか。私、あります。恋愛では全くしたことないですが春巻にだけはあります。私にとって、「超えられない過去の恋人」とは銀座アスターの春巻なのである。ごめん煽りすぎたわ。

 

私、春巻が大好物なんですがね。私が小さい頃というのは吉祥寺に近鉄があって、そこに銀座アスターが入ってたんですわ。説明端折るけど、毎週行ってたんですお昼に。

 

大人になって、アスターより安くて旨い店なんか沢山あるし、逆に話にならんくらい高級で洗練された中華があることなんぞは学んで分かってるわけだけど、私にとってアスターの春巻とは「ポン酢=味ぽん」くらいの馴染みであるんですよ。いやまあポン酢も最近色々あるけどさ。昔はポン酢って味ぽんしかなかったじゃん

私ゃ春巻っつったらアスターの春巻なのよ

塩山椒で食べるやつ。

 

日常でふいに、春巻食べたくなって

惣菜やコンビニや冷食はもちろん、行った先の中華料理店でとか、誰かにオススメされたりとか、評判高いやつとか、手当たり次第食べてはきたよ。

 

いつも、口に運ぶ瞬間に願うのよ。どうかお願い、私にアスターを忘れさせて、と。夢中にさせて、と。でも、一度もあの人を忘れさせてくれるような存在はなかった…

 

前置き長くなったけども。何故こんな話してるかというと、昨日実母から「両国にできた春巻屋さんていうのがTVに出てたよ」と聞いたわけ。春巻屋…?!

 

東大島にそのようなお店がある噂は小耳に挟んでいたが、もしかして支店が両国にやってきたのではなかろうか?前から興味があったものの、その噂をきいてから妊娠を繰り返したため、そのお店には行けていなかった。検索するとビンゴ、まさにそのお店が徒歩圏内に出店されているではないか。

 

「自分で買った物が届いても数日封を切らない」くらい腰の重い私が、母からの話を受け即、お店の場所を調べ、先日ギックリ腰をしたばかりでまだ痛む身体にロキソニンの湿布を貼りたくり、年子ムスメーズを連れ春巻屋へ繰り出した。彼女達もなかなかパワフルになっており、私1人で連れ出すことは日々難儀を極めるがそんな事は言っていられなかった。

 

最近言葉の習得が著しい2歳の長女が、移動中に「ママー、どこいくのー」と聞いてくる。「春巻買いに行くんだよ」と答えると、ハミガキと間違えており終始ハミガキハミガキ言われながらも私はひたすら春巻屋を目指した。

 

同時に、失望の覚悟もしていた。あの人を超えるわけがない…ああ、それは出会う前から失礼な態度と知りつつも、期待の分だけ傷付く繰り返しは、私の心を臆病にさせた。ただ、好きになりたいだけ。

 

辿り着くと、非常に感じの良い店員さんが注文した分を揚げてくれた。私は今日の夕飯にするつもりで買ったが、目の前で揚げたてを買ったらまあそりゃもう、すぐ食べたい。「君が傷付いてきたことは知ってる、分かった上で君に言うよ愛してる」くらい言われる衝撃が「揚げたて」にはあると言える。

 

年子姉妹を抱えつつ大急ぎで帰宅し、姉妹がバタバタしている隙に早速口にした。もはや「付き合おう」とかの口約束もないままにベッドインしたような気持ちだ。仕方ない。揚げたてというのはそれくらいの魅力である。

 

ああ…

 

 

巡りゆくあの人の記憶。いつも私の1番だった。あの人しかいないと思ってた。あの人に似た人を探すから、いつもあなたの二番煎じにしか感じられなかった。そうじゃない、あなたとはまるで違う人。まるで違うのに、私、惹かれてる…

 

餡のとろみについて、具材について、みっちり加減について、味付けについて、皮について、大きさについて、全てのことがまったく異なるこの人だけど、私、この人のこと好きになる…

 

あなたはいつも気取ってた。大した器でもないくせに、着飾っていた。でもその着飾りは本当に似合っていて、あなたらしさだったの。これからもあなたに会いたい時は素直にあなたに会いに行くわ。私に喜びを教えたのは紛れもなくあなたなのだから…

 

でも今日出会った彼は、何も着飾っていなくて

きっと私以外にも優しいんだわ。その優しさに妬いてしまうかもしれない。でも今は優しい人が好きなの…

 

 

大判の春巻は餡らしきとろみはほぼなく、しかし綺麗にぎっちりと具が詰まっており、またしっかりと味が付いていて付属のタレも不要かと思ったものの、タレもまた美味しくて、私は幸せな気持ちでいっぱいだ。

 

ねえ春巻よ。中国って別に好きじゃないけど中華料理ってマジで世界中の胃袋牛耳ってるよ。だって美味すぎるもの。ああ、歩いて美味しい春巻が買えるなんて、めっちゃ生活の光。

 

おいしく頂きました。またすぐ買いに行くと思う。そして私、まだまだ出会いたいわ。

 

動画だるい

今の時代、動画媒体というものを使いこなすことの利点はキリがなくある。というより使わん術もなかろう、という話であろう。その証拠に、企業のメルマガなどほぼ読まれない。端的に言って、文章で情報を得る層が減ったということだ。

 

その反面、時代に置いていかれたタイプの私めなんぞは、とにかく動画が苦手である。ちょっとしたレシピ、メイク、「たいして深刻な問題ではないがちょっと検索したい」程度の興味でスマホやPCに触れたとき、検索結果に上がる動画媒体は全て無視をする。

 

なぜか。これは時間軸の問題だ。

 

私はおそらく、人より読速があるという前提も踏まえて先をお読み頂きたいのだが、何かひとつの調べごとに対し、誰かの作った数分の尺でそれを得るには「そんな時間ねえよ」と思うからだ。色々なジャンルの動画があるが、平均して10分程度が多く溢れている中で、喋る言葉数を拾えばおそらく2分で読み切れる程度の内容である。動画には、特有の時間軸が存在する。それが投稿者の構成だ。

 

そして、観る側も本来意識すべきは、動画内の情報以上に、「時間軸の構成」である。それをぼけっと受けるがままに操られるほど暇なはずはないのだが、意識してないとその尺についてまるで気が付かない。10分かけて得たその情報、あんた次第で1分で頭に入るよね?

 

もちろん、映像だからこそ理解を助ける事柄も多くある(スポーツとかそうだろうなぁ)

 

ただ、自分の生活においてそれがどれくらいあるかを個々で見つめてみれば良い。言い方を変えれば、「文字を読んで即座に正確なイメージを湧かせ、読む速度を上げることができれば、10分で得られる情報数は格段に上がる」というそれだけの話だ。ついでに言うと、人の作った時間軸で縛られるのが心地が悪いので、見てられない。

 

上記のような者をはるか昔から「せっかち」と呼ぶ。私は、自分の時間軸を騙してまで他人の時間軸を迎合したくはなく、時空を超える「せっかち」の一言に自分が表される方が気持ちが良い性分だ。

 

あんたんちの上の階って葬式してるぅ?

東名を走っていると、また郊外の下町を走っていても、ラブホが連なる界隈や腰を抜かすような規模の団地を見かけることがある。子供の頃からなのだが、なぜか私は規模が大きければ大きいほど、団地のその一部屋一部屋について、ラブホの一部屋一部屋について、思いを馳せてしまうのである。

 

まず、その建築であろう。ラブホについて言えば、まず先述のような景色にて見かける場合、限りなくダサい。しかし、建物の構築がいかに手間がかかるかを自店を通し体感した身としては、「ださー」と笑ってしまうようなラブホであろうとそれを手がけた方々がおられるのだ、と分かる。どんな思いであの壁をあんな色で塗ったのだろうか。

 

そして、どう考えても、仮にこの地に超バブルが訪れたとしても、20軒くらい連なるこのラブホが満員御礼!少々お待ちくださいませ!!という話にはならんであろう。そもそもぶっちゃけ、僻地である。こんな所にセックスに励む連れ合いが混み合うとはとても思えない。

 

眺めていると廃墟となっているラブホも多く、それを見ると尚のことゾクゾクする。何だろう。空間とは、建物とは、人間とは、などなど色々のことをモーレツに考えてしまうのだ。

 

そして、団地だ。

 

大きな団地であればある程、ちょっとした商店が隣接されており小さな街のように形成されている。具体例について山程挙げたいが、具体例を挙げることをここでは無粋と判断するため、せずに進める。

 

昔から、学校から帰ると1人であった。

 

兄弟もいないし、帰宅後は1人の時間であった。ああ、猫と亀はいたのだった。そしてKAWAIの電子ピアノが、家に似つかわしくなくあるのであった。

 

宿題をしたりピアノを弾いたりするものの時間を持て余した。

家は貧しかった。

ゲーム機器もなければ便所は和式、電話もダイヤル式、作り付けの棚は全て傾き、ボロボロで穴が空いて用途を成し得ない襖、ガスの風呂場は梅雨にはナメクジが出、言うまでもなく酷い外観のアパートに住んでいた。今だから言えるが当時の私は家が恥ずかしくて、友達を呼べなかった。でもそれは親には言ったことはない。共働きしている両親に対し、また食べるに事欠くことないよう頑張ってくれている親の前で、家が恥ずかしいなど言うことの方がよっぽど恥ずかしいと思っていた。

 

尚、余談だが今は違う。子供にそんな気を使わせることが恥ずかしい。家が貧乏で友達を呼べない、それだけのことが、それだけのことで、心が斜に構えるようになったことが沢山あるから、それを私は子にしたくない。

 

とはいえ、閉塞感の中にある僅かな自由が、帰宅後には確かにあった。それは閉塞感なしには存在し得なかった。広告の裏に絵や文を書く。空想にふける。そのときの熱量は、きっと今どんなに良い環境を与えられても、再び宿ることはないだろう。むしろ、整った環境下においては生まれようのない熱量なのであった。一人っ子で喋る相手がないことも、そもそも内向的な性格であることも、そして家にプライバシーが守られるような扉ひとつなかったことは、ただ黙って言葉を紙に綴りまくる他に私に感情表現の選択肢を与えず、紙の前で息を殺して鉛筆を走らせることのみが、素直に自分の気持ちと向き合える瞬間であった。

 

団地を見てゾクゾクくるのは、まず、その世帯数である。世帯数の数だけ、生活がある。何を思い考えながら、過ごしておられるのだろうか。いろんな年齢層や、国籍の方がおられるであろう。そしていろんな背景がそこにある。

願望に近い見解を語るなら、そこには私自身が幼少期に感じていたような熱量が、ひしめき合っているのだろう。

 

書いていて変態なんじゃねえかなと我ながら思うが、団地を見ているときに沸き上がる興奮は性的なものとかなり近い気がしている。階段などに是非半日佇んでみたい。何がしたいわけでもない。

 

この感覚は、家の中にきちんとした扉があってお友達を普通に招くことができた環境に育った者には、1ミリも分からなかろう。逆に共感されてもイライラする。少しずつ歪んでいく肯定感に自ら気付きながら、心を置いて体だけ成長していく。テキトーに恋愛したりファッションに金をかけたり反抗期を爆発させたりして、辻褄を取りながら生きる。私は家の心地よさに飢えている。欲しいのはそれだけであったと後から知るものの、知るまでには学歴もメチャクチャにしたので、成人後は派生した結果によって、尚更生き辛さを感じたものだ。

 

今の私は私の人生をこの上ないギフトとして受け取っている。但し、環境の現実的な形として、我が子に似たような思いをさせたくないし、高校くらい普通に行けよと思う。ハッキリ言って学歴なんてものは、あってもなくても人格そのものにはあまり関係がない。学生時代という年齢は、人格を練る時であると思うがゆえ、勉強やスポーツを頑張ることで体験しても良かろうし、よく分からないけど学生生活楽しもう〜でも良いし、16から働き通してみるのも良かろう。しかし母となった私の実体験からして、高校の学費も手前で稼ぎながらその時代を過ごすのは、少し勿体ないのだ。早くから大人にまみれることでの面白さは確かにある。勤労学生として大人には褒められても、放課後に友達とキャッキャと遊べる眩しさに比べれば、シビアさなど身に付いても疎ましいだけであった。それこそ年間の給料と引き換えにしたいほど、放課後の学生が羨ましかった。

 

当時からうっすらと感じていたが、あの眩しさの正体とは「時間」なのだ。果実が青い時期を経て熟すように、結実して即色づくなんてことは不自然なことなのである。私は不自然のスパイラルにて育ち、

青さを今になって経験している。この歳で恥をかくことが多い。でも、これも私の分であるから感謝している。

 

ラブホと団地にゾクゾクする、この話を「ラブホと団地を一緒くたにするなんて!」「実際に住んでいる人の気持ちを考えてるのか!」「その辺りのラブホで良い思い出があるのに!」「そもそも団地を見下しているだろう!」という方もおられるかもしれないが、私はね、団地に憧れてたんですよ。

 

団地ならね、同じ建物に住む同士がたくさんいるじゃない。それだけでどれだけ心が救われると思うか分かる?同じ学校の子がちょっとはいたりするでしょう。

 

私はね四世帯しかいないボロアパートで、上の階の人なんて訳分からん宗教で深夜にギシギシ軋むほど揺れながらお経唱えて、ある時なんて「この1週間お葬式しててスミマセンでした」と、菓子折り貰ってさ、六畳二間のこのアパートに、ていうかあんたら家族みんな元気じゃん、誰のご遺体1週間もあったんだよみたいなね、カオスに支配されてたんですよ。団地ならそんな事やらかす住人、退居でしょうよ。

 

団地って羨ましいなと焦がれてたのよ。

規格があって、国営で、身元が判明してて。

 

 

今の私、何のストレスもないの。あるのは夫が常軌を逸してムカつくことをやらかす時だけで、仕事で追われるのも育児が大変なのも幸せでしかない。住居なんてナメクジ出ないだけで最高なのに、贅沢すぎるわといつも思う。家電があって、制限されずにお湯出せて、各部屋に扉がある。子供の頃の私が憧れていた、扉のあるおうち。上に奇妙な葬式する人もいない。

 

私は郊外のラブホは行ったことはないけど

 

あのラブホの趣味の悪い眩しさにすら焦がれるほど、家が嫌いだった。子供の頃から、ドライブで(車はある家だったの。それがまた怒りだった、その維持費で少しでも良い家に引っ越してほしかった)見かける度に、あのネオンにボンヤリと見惚れた。

 

団地も同じく、あの光の数だけ、見惚れた。

 

なんだかノスタルジー気味ですが、現在娘たちが夕飯でこぼした米粒を娘たちが自ら踏みまくり、その足で娘たちが遊びまくったがためにベッタリとソファにデンプン感が満ち溢れた事態の収束に徹している次第でございます。まったくノスタルジれない。

拝啓、ダンブラウ〇さま

皆さまは「ダンブ〇ウン」をご存じであろうか。スーパーマーケットのサミッ〇の一角に入っている、いわゆるインストアベーカリーというやつである。

※入っていない店舗もある。

 

私の現在の住まいは、大好きで仕方ないのだが、唯一ネックなのが「パン屋のなさ」である。地元、西荻窪というのは、言い方悪いけどもはや気持ち悪いくらいパン屋あるじゃん。私が学生の頃から、たくさん個人のパン屋さんがあって、入れ替わり立ち代わり、今だっておいしいパンがさ、目つぶって歩いてても当たるくらいあるじゃないですか。良いよね、パン…。銀座とか出りゃそりゃいくらでもあるけど、パッと歩いて行けるところに欲しいのよね。

 

まあないもんをグダグダ言ってても仕方ないので話を戻すが、私の毎日というのはほぼほぼサ〇ットに出現するんですね。近所の公園に娘たちを連れて行き、遊んで、そのあと最寄りのスーパーである〇ミットへと向かう。1人で2人を連れて出る一連の流れって、出かける準備と帰ってからのアレコレで平気で小一時間は経つから、一回ベビーカーで外に出たら用事は全て済ましたいのよ。

で、たまたま私の行く店舗にはダン〇ラウンが、ありまして。昔から朝食で食べるのはイギリスパンが好きなんだけど、ダンブラウ〇にはあるわけです。言うまでもなく、スーパーのインストアベーカリーだからさ、とってもお手頃なのよ。お手頃だけど、普通に並んでるメーカーさんのパンとは違うからさ、そりゃオシャンな天然酵母パンとナチュールワイン合わせちゃうようなお店とか、一斤千円超えるような高級店とも違うけどさ、でも、日常の中にいつも存在してくれて、選べる嬉しさがあって、普段の買い物と一緒に買える利便性は言うまでもないし、そんだけの理由で語るには失礼かな、と思うのよ、このインストアベーカリーってやつは。ほんと、ちょっとした楽しみなのよね。きっと私みたいな状況の人で、同じように感謝してる利用者は多いんじゃないかなって思うよ。

 

で、ここからが重要よ。

 

今、もうすぐ2歳になる長女がオヤツとパン熱がすさまじくてですね、前までしっかり集中していた食事も、パンかお菓子があるんだったらそっちを出せ、みたいに迫ってくるんですよ。もちろん叱るんだけど。一日中パン、パン!チュー(オヤツ)!!と言ってるので、何が弊害ってさ、私がオヤツ食べられないんだわな。※彼女の食生活についてはちゃんと真面目に考えているのであしからず。

 

コッソリ何か食べようもんなら、袋の開く音をどこからでも聞きつけて、我に献上せよといわんばかりの大騒ぎになるため、もう面倒くさくてしばらく家で間食してない。なのですが!

 

公園帰りのスーパーでは、長女は5割、次女が3割の確率で寝落ちするんです。とはいえ、それぞれを帰宅後ベビーカーや抱っこ紐から降ろしたら、必ず起きる。ということは、この「スーパーからの帰り道」のみ、私に与えられたオヤツチャンス!!

 

そんなときの、ダンブラ〇ンよ。カレーパンとかフランス生地のチーズ系の総菜パンとか、季節限定商品とか、懐かしいカラフルなチョコが乗ったドーナツとか、ソーセージのパンとかさ、みんな100円~300円くらいで買える。特におすすめは、シナモンチュロス!!なぜかって!?良い大人が乳幼児2人連れてさ、歩きながら買い食いしてるなんてしょうもないのは百も承知だけど、チュロスだったら次女を抱っこしてても食べやすくて、そして、わりと通行人から目立ちにくいんだよ!

 

そして私は、しっかりとシナモンのきいたこちらのチュロスが大好き。疲れ切って、一日の中に自分のタイミングで動ける瞬間なんて彼女達の寝かしつけが済むまでないわけで、でも仕事もあるし家事もあるし、そんなんで夫婦喧嘩でもしてる日にはほんと絶望的になる。過去に何度かこのチュロス食べながら泣いて歩いていたよねw シナモンと、ほのかな甘さがさ、癒してくれるのよ…

 

スーパーからの帰り道なんて10分もないんだけど、このタイミングで何か買い食いするひとときは、傍目に行儀も悪くて非常識かもしれないけど、多くの条件が重なりGOサインが出たときにしか実現不可能な、すんごい貴重な癒しの時なのよ。もし私のことを知ってる人で、その時を見かけても、そっとしてください。笑

 

 

 

そして…これがまた有難いポイント、よくパン屋さんで一個一個が入れられてるビニール袋ってカサカサした素材の多いじゃないですか。〇ンブラウンさんは(全店かは知らないけど)音が出ない素材のビニールなんですよ!だからこそ!帰り道に食べちゃってても、その音で娘たちが起きないで済むという(だってこれ、考えてもみてよ。家でも見つかったら大変なのに、ベビーカー上で見つかってもみてもごらんなさいよ…想像しただけでやべえよ…)、まことに天の助けとしか思えぬ、思わぬ要素に支えられた、私の日々の帰り道でございました。

 

泣きたいときの、ちょっとの甘いもの、美味しいパンって、ほんと沁みるよな……。

東京

過去に何度か言われたこともあるが、最近久しぶりに言われた。「東京の人ってドライだね」と。

ドライ…で話が済めば黙る。

 

が、なぜ書こうとしているかというと、遠回しに「私」が、「東京の人間」だから、「冷たい」と言われたのである。

 

非常にはらわた煮えくりかえっている。まさかこの年で、相手にそう言わせた私に優しさが欠けていた点をまずは恥じると共に謝りたい。但し、言いたい。私に文句があるなら東京とか抜きに私の人格に対し言ってください。ていうか本音はそうでしょ、何やや論点ずらして土地のこと持ち出すのか。ここでそっくりそのままあんたのことを「〇〇県の人は、辛気臭くて人のせいにばかりしますね」と言ってやりたいけれどもそれはやめましょ。

 

その代わり、自分でもびびるくらいムカついたので、思春期からずっと思っていたことを綴らせて頂こうではないか。

 

これは東京以外の人を敵に回したくて書くわけではないよ。

 

ぶっちゃけよく言われるわけですよ東京って冷たいとか他県出身の人に。今日は怒っているのでことごとく反論させて頂くで候。

 

「じゃああなたの出身県はあったかいんですか?」

そう聞くと、そうだよ!ってみんな言うのよね。嘘をつけ。そうやって「東京の」人だから…って線引くじゃん。東京の人はこういうの苦手でしょ?とかダメなのよね~、とか勝手に言うじゃん。ちょっと虫とかにビビったりするとさ。だからってマジでさあ、そんなふうに、とある県なり道なり府なりを特定でそんなこと、言うか??あんたの方が、酷くないか?ちなみに私はGなんて紙一枚で仕留めるけどな。逆に東京だからいる虫ですが。

 

「人間関係が希薄で病むだと?あんたが病んでんのは希薄な人間関係じゃなくて無駄に煮詰めた過去のせいでしょ」

これもまじで声を大にして言いたいね。人との距離感なんて、どの県に生きていようが人と人との問題でしょうよ。外国人だって仲良くなる人はなるし、ならない人はならない。そんな言うまでもないことを東京という土地柄にすり替えてグダグダ言うくらいなら、あなたが思う「希薄ではない、東京ではないどこか」で存分に夢を語れば良いだけじゃないですか。

 

「みんながみんな東京の人みたいじゃないんだよ、もっと寛容であってほしい、だと?これ以上言ったらぶったたくぞ」

 

細かなデータ持ち出して言うのもここではナンセンスだからざっくりだけど、東京はなあ、人口の半分が地元の人間じゃないんだよ。更には2割は外国人だよ。寛容じゃないだと?オマエの語る寛容とは何ぞや?オマエのペースをただただヨシヨシしてくれる人のことと間違えているんじゃないのかな?

そういうのはお金払ってイメクラでも行ってきてください。

 

いや、分かりますよ東京はドライと言われる理由は。正確には「ドライ」ではなく、「早い」だけ。(世界軸で見たら遅いとは思う)いろんなもののスピードがね。むしろ社会や人間関係における温度感という点で見るならば、氷点から沸点まで見事なまでの温度感があってウェットですよ。

これだけの情報量と、どこのだれかもわからない人に幼いころから揉まれるのですから。地元出身同士だけ、だなんて状況、東京出身者にはないんだよ。望もうが望むまいが、いつだって他県出身者が当たり前にいるものなの。そういう中で生まれ育つの。他県どころか他国の人も多いの。それも受け入れるしかないの。アンタみたいにごちゃごちゃ言ってくる奴のこともな!

 

私は、東京がいちばん好き。地元だから。別に東京に夢とか感じないけど。地元だから好きなだけ。「やっぱ地元帰ると落ち着く~」なんてセリフ、言えないよ。地元なんて、アンタみたいのがいっぱい粗熱もって集まってるんですからね。いつも知らない匂いがして、懐かしい匂いの名残は僅かしかなくて。それでもその、僅かに香る懐かしさを、たどってたどって、意識的に捕まえないと、アンタみたいな奴の粗熱で地元は燃えそうだから、時折帰る場所のなさを感じて切なくなる。言い方悪いが、どいつもこいつも勝手に地元に熱を持ち込みよる。触らないでよ、と言いたくなる衝動が確かに深くにあるんだわ。でも同時に、やっぱ慣れてるから、そういう違う土地の人が活躍していく姿も落ち込む姿も見るのが東京では当たり前だから、意地の悪いことも言うまいて、というのがムリヤリ格好つけるなら東京の粋。はっきり言うけど寂しい思いって、東京の人もしてるのよ。テリトリーが、ないんだから。

 

 

※※※

…上記までの文章をだいぶ前に書いてたみたいで下書きに残ってたのを発見しました。多分怒って書いてるから寝かせようと思ったのか、単に酔っ払って保存先を公開と下書きを間違えたのかは分からんけども、見返したら全然GOだったので公開に至る。

 

ほんとさ、好きとか嫌いとか思う事柄について、出身地に限らず、「○○だから」とか理由探してすり替えるのやめた方がいいよ。自分がそう思う、というそれが最たるソースなのだから、すり替えずに堂々と言えよ。

 

とりあえず私の性格が悪いのは東京出身だからではなく生まれつきです。ちなみに私は自分の性格は大好きですが。