妊娠の判明
早いもので妊娠が判明してから34週が過ぎ、間もなく臨月に突入する。あっという間の気がするものの、おそらくそれは店のあれこれについてがあっという間に感じるのであって、胎児との週数を重ねるにあたっては一日一日をやっとで経ていくような感覚であった。
特に安定期前の初期は長く感じた。
私の場合はゴールデンウイーク明けのある朝に市販の検査薬にて判明した。
その頃の私というのは精神的に凄まじく荒れており、何をしてもイライラし、また非常に疲れやすいなあ、と感じていた。ふと気を緩めると口をつく言葉は
「だるい、眠い、むかつく」であった。
そして酒が飲めなくなっていた。まずいし、入っていかない。帰宅後だいたい2缶はチューハイを飲む生活だったが、ちっとも飲みたくないのである。
また、営業中にお客様がご注文下さった良いワインのご同伴に預かる機会があってもまったく美味しいと思えなくなっていた。個人的に大好物の銘柄や、手前どもの財布ではそうそう飲めない価格帯の銘柄さえも、「まず!」と思ったのである。
その時にはもう「これはいよいよおかしい、絶対胃腸か肝臓がやられた」と思い内科にかかろうと考えていた。
頭の片隅に、もしかして?という想いもあったので買い置きの検査薬の存在も思い出したが、これまで何度その期待の分だけ涙を流したか思うとすぐには使う気になれなかった。
一度や二度の話ではない。結婚してから7年分の落胆がそこにはあり、そして2年半前に夫婦で開業することを通じて私はその夢は捨てると決めたのだ。
言わずもがな、夢とはずばり子を持つことであり、また、それがもし早々に叶っていたなら私は開業は考えなかったと思われる。考えない、というより考えられなかったのではないかと思う。
その夢は叶う気配がなかったため、神奈川にいる頃に自分の人生について死に際を考えるようになった。死に際、というとなんだか物騒な話に聞こえるかもしれないが。
死ぬ前に振り返ったとき、面白い人生であるかどうか。
神奈川にいる頃から、子供を持つ人生に固執するのはやめようと思ってはいた。いないなら、いないの人生を歩みたい。
「欲しいけどできない」状態の気持ちが嫌だった。自分がどんどん暗くなるのが分かる。よく言う話で、人の妊娠出産を喜べないため出先でうっかりトイ〇らスにも入れない。赤ちゃんを見かけても、可愛いよりも先に羨ましさが募り、その親を見ては自分が優劣をつけられたような被害妄想に陥り、愛する夫や日々の糧に恵まれているにも関わらずそれらへの感謝は失せていく。
そういう自分自身が嫌いだし、面倒くさかった。振り切りたかった。こんな気持ちを抱えながらの人生では、死に際はさぞパッとしないだろう。
そもそも、いつか都内に帰るときには飲食に戻ることと独立するために帰ると決めて神奈川に来たのだ。
それは現実的に考えて大変難しい話だからこそ、子供がいたら選択として厳しいであろう。でも、子供はいないのだ。ならば遠慮なく選択しよう、と思った。
大体にして、いわゆる不妊治療に投じなかった私たち。そのことについてはまた角度の異なる話になるので割愛させていただく。
そして自営業になると同時に、東京へ戻ってきて今に至る。お店をやるというのは、月並みな言葉だが想像以上に大変でとても子を持つだのの余裕はないと感じていた。当たり前だが「営業時間=仕事の時間」ではない。
例えるなら「営業時間」は「狩り」であり、「営業時間以外の時間」は「弾を込める、銃を手入れする」そして「狩場を作り狩場に行くための時間」だ。寝ること、休むことや遊ぶことも、「狩場を作るため」といえる。端的にいってこの生活になってからは子供を望む夢が入りこめる隙はないといっても過言ではなかったが、自分の年齢と現実の生活を思うとどうしても脳裏をかすめるのも事実であった。
お店のことと妊娠のことを共に考えることができなかったのだ。ゆえに、その夢は体裁として殺したものの私の心の奥の奥では生きているのはうっすらと、かつ確かに、感じているのであった。
その日の瞬間を私は忘れないであろう。
検査薬はマツ〇ヨでプライベートブランドの安価なものを購入していたのだが、
「ケチって安いやつにしたから間違っているのではないか?」とすら思って判定結果の覗き窓を見つめていた。
かれこれ10分ほど、ケツ丸出しのまま便器に座り、検査薬を握りしめていた。どこからどう見ても、反応の出る窓には陽性を示す縦線がくっきりと表れている。
過去に「線よ出ろ出ろ出ろ出ろ」と祈りどころかもはや呪いのごとく強く握りしめて窓を眺めても一度も表れたことのない縦線。
「これ、角度によってはうすーく線出てるんじゃないか?」などと往生際悪く斜めに持って眺めてみたり、「あと小一時間くらい待てば反応が出るかもしれない」と、冷静に考えれば我が尿のかかった清潔とはとても言えないプラスチック製の棒をしばらくとっておいたり、この窓枠にはどれだけ熱い思いで眼差しを向けてきたことであろうか。
それがこの日は、尿をかけたわずか1コンマくらいの勢いにて縦線がくっきりと表れたのであった。
陽性、おお、陽性…!!な、なんでだ!?
なんでも何も「精子と卵子が受精して細胞分裂を繰り返し着床したから」なのだが、単刀直入に申し上げてとにかく最初の感想は「ビックリした」のである。
同時に、飲酒喫煙不規則な日々のストレスフルな生活を思い、不安が一気に押し寄せた。
妊娠前からしっかりと母体を整えている女性の子宮環境をフカフカの毛布と例えるならば、大酒飲みの私の中は劣悪な馬小屋の藁、くらいであろう。近々で薬も飲んでいた。
仮に子宮外での妊娠であったとしても陽性反応は出るため、あまり喜ばないようにしようとする意識が強く働き始める。
35歳、生活も不安定な自営飲食店。
とりあえず産婦人科に行ってみるにあたり、近隣の病院を調べ始めた。続く。