37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

安定期はいずこ

16週を過ぎると、初期流産の確率をひと山越えるそうで若干ながら安心をする。ざっくりと胎盤が完成し、一般的にもこの頃から周囲に報告したりする人も増える妊娠5か月目。妊娠中期の始まりである。

つわりが治まり始め、全期間を通じて最ものびのびと過ごせるであろう安定期の到来に、私も多分に漏れず胃のムカムカが落ち着き始めたので「ほうほう、これでだいぶ心身が楽になっていくんだな」と嬉しく思っていた。おかげで食欲が凄まじい勢いで加速し、現在でも注意されている程体重の増加が始まった。甘い物も欲するようになった。
これまでの半生で、こんなにも食欲があることが初めてで我ながら面白く感じていた。

だが同時に、6月末にお店の周年が近づいているのを日々考えていた。飲食店にとって周年とは一大イベントだ。あえて正直な言い方をすると「稼ぐ日」である。

周年自体はとても有難い出来事なのだが、今年に関しては店舗と自宅をダブルで更新するという更なる一大イベントも附随していた。
大体のケースにおいて、飲食店であれば店舗の更新は3年に1度。だがうちは2年に1度なのである。一大イベントどころの騒ぎではない、大惨事だ。


気が遠くなる額の支払いを控え、安定期に入ったというのに今からつわりが始まるのかというような胃のストレス。普段であれば「さあさあ周年に向けて稼がねば!」とはりきるところだが、そうは振り切れない。
「深夜にかけて」「酒場で」働くことについて、妊婦としてどうなんだという懸念がじわじわと湧いてくるようになった。

産院での指導はじめ、た〇ごクラブなどの雑誌でも「帰宅は深夜1時、晩御飯は1時半、就寝3時」という妊婦のモデルケースはあまり見かけない。病院勤務等で夜勤をしている妊婦さんの話だけが、当時は心の拠り所であった。

とはいえ当時の具体的な悩みである「マスクがしたくてもできない貴女必見!ワインの香りを嗅ぐときに気持ち悪さを劇的に抑えるおススメの方法★」ゴルゴンゾーラやエポワスにはもう負けない!チーズの匂いに顔を歪ませずにカットする5つの法則」などはどれだけ検索魔になってもどこにも載っているはずもなく、苦手な匂いを嗅ぐ際はひたすら「全神経をおでこの上に集中させ、視点は何にも合わせない」という心をその場から飛ばすようなイメージで業務を遂行していた。

結局のところ、せめて0時には家に着きたいと思いながらも今振り返ってみてもそのような日は少なかったと思う。お腹へいつも、ごめんよと思っていた

だが、おかみとしての自分は一杯でも売りたい。1円でも多く欲しい。
「もっと早寝しないとダメだ」「夕飯は深夜に食べちゃ良くない」「誰か雇ったら」「先に帰りなよ」などなど、有難いことに気にかけて下さる方々が親切心で言って下さるのが分かるのだが、あらゆるアドバイスはどんどん私を追い詰めた。十二分に分かっているし私だってそのようにしたいのに。現実問題できなくて、それが辛くて悩んでるのに。なんで追い打ちを
かけてくるの?!という気持ちでいっぱいであった。通常時ではそうは思わないのだが。
頭では、誰もが良かれと思って言ってくれるのが分かっている。意地悪で言われているのではないし皆さまの事が好きだ。お客様に気にかけて頂けるなんて、店の者として幸せなことである。
でも、お客様だからこそすべての言葉から逃げようがなかった。それがずいぶんお酒の入った上での言葉であっても、お金を頂戴している以上聞かないという選択肢は持たされていない。

私に限った話ではなく、世の妊婦さんは各々の環境にて皆似た思いをしているのだろう。
お腹の赤ちゃんのためにしてあげたいことはいくらでもあるのだ。したいのに出来ない事情があるのだ。

店を頑張ろうと思うと結果罪悪感が生じる。して頂いた親切には自分の想いを踏みにじられたような気持に陥る。かといって妊婦である自分を最優先したなら目の前の一杯が
取れない。それは生活が出来なくなることに繋がる。余裕のなさに焦る。毎日、起きるのが嫌であった。今日は何をどれだけ耐えなくちゃいけないんだろう、と思う。そうして迎えた2度目の周年にて、私の精神は限界に達した。


周年当日はライブイベントを行っていた。常連様が多数お集まり下さり、演者も長年の友、お手伝いのバイトも頼んだ。お祝い花も多々頂戴し、見た目にも賑やかでお店としては非常に光栄な光景であった。

2階と行き来しての疲労のせいもあると思うが、気付くと自分の目から涙がこぼれていた。
その瞬間、全員お顔を知るお客様であったにも関わらず、見知らぬ他人に見え、話し声の全てが騒音に聞こえ始めた。

心臓がバクバクして店から出た。裏路地へ入ってしゃがみ込んで泣いた。もう嫌だ、全員嫌だ、一人になりたい、何も考えたくない、誰かに甘えたい、いや誰にも会いたくない、しゃべりたくない、シンとした静かなところに行きたい、耳が疲れる、早く帰りたい、でも売らなきゃ、ああ売りたくない、ワインなんて見たくもない、


しばらく外で泣いてライブが終わるのを待ち、終演後皆さまが1階に移動なさった後に大急ぎで階段を駆け上り、一人で2階に横になった。声が我慢できないくらい、酷い嗚咽と共に泣いた。自分でも泣き疲れるのに、泣くのが止まらない。

「今、私安定期なんじゃなかったっけ…?」

店の周年という1年で最も嬉しいはずの日にダメだったことで、ある意味踏ん切りがついたといえる。この日にダメな自分に失望すると同時に、それだけ自分が変化させられているのだというのがよく分かった。それから数か月、毎日必ず泣いた。泣くのがデフォルトになったので、自分の涙に驚かなくなった。人前に立つことが苦しく、嫌だ嫌だ行きたくない!と声を上げながら身支度をする。泣きながらなので化粧の進みは遅く、化粧後にも泣くので毎日変な顔であったがそれで良いことにした。

妊娠時のホルモンの変化は、数滴で25mプールの水質を変える程と読んだことがある。
私は心を整理することを諦めた。無理に楽しむことを諦めた。心のどこかで、もっと幸せそうなマタニティライフを送らねばという意識もあったと思う。
これはあくまで私のケースだ。妊婦さんによって悩む症状はバラバラである。

ただ言えるのは、精神論や心意気では片付かない、もっともっと大きな力によってこてんぱんにされるのがホルモンの力というやつなのであろう。

「これを、経ろ」ということだったのだなと今は思う。続く。

 

 営業中はマスクできなかったけど、マスクできるときにはアロマオイルには助けられました…( ;∀;)