36歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。乳児の母。育児の不安に加え、なにかと不安な36歳。

学生時代の言葉の宝


ぼやぼやと駄文を書かせて頂いている今日この頃であるが、FBにてシェアすることにより、予想していたよりも多くの方がご覧くださっているようで驚いている。また思ってもみない方やずいぶんとご無沙汰していた方などから個別にメッセージを頂戴したりと有難い現象も起こるので、投稿というのは実に興味深いと改めて感じるばかりだ。

そのような中で数人の方々から質問を受けたのでハッキリとお答えするが、私は文学部出身などではない。誠に恐縮かつ光栄な誤解だが、大学なんて行ってないですよー高卒ですよー!

ただ、卒業した高校が東海大系列の通信制であるため、在学中は東海大オリジナルらしき授業である、現代文明論というものを選択していた。

選択のきっかけは、ちょうどこの科目の担当教師が若い女で、万一遅刻したり何か不備が生じたときにも、大して怖くなかろうというナメた考えによるものである。他のベテラン教師陣の科目では誤魔化しがきかなそうなことも、てきとーにさぼったりできそうと踏んだ。また年間の時間割を見ても現代文明論は午後に組み込まれていることが多く、登校日に昼寝できる科目が一つ欲しかったのである。授業には関係ないが、かなり綺麗な美人先生だった。おそらく20代後半くらいではなかろうか。

現代文明論は学校創立者である松前重義という人が作ったという、独自のカリキュラムだそうだ。ちなみについ最近になって松前重義内村鑑三に師事していた熱心なクリスチャンだったことを知った。個人的に驚いている。在学中は創立者の背景なんてまったく興味もなかったが。


通信制高校は現代は少々制度が変わり、卒業にあたっての条件などが私の在学中とは異なるが、基本的な日本の高等学校としての必修科目を履修さえすれば自由に科目を選択できる。大学と同じような感じで年間に必要な単位数などは決まっているため、それらを間違えないように授業を組んでいかねばならないが、多少の自由は嬉しいものであった。


現代文明論の印象は、「とにかく、文章を書く!」であった。

大学で学ぶのとはまた違い、この16,17歳くらいの時期だからこそ、今でも鮮明に思い出せるくらい非常に影響力が及んだのではないかと思う。
通信制なので、どの科目も共通して平日は定期的にレポートを作成し、郵送にて提出するのが常となるのだが、現代文明論での日常レポートは完全なる作文。
毎回テーマを与えられ、日常的に提出する分は確か規定が800字での作成であったかと思う。中学生の作文だって3、4枚くらいのボリュームになるのに、わりとそれなりのテーマを800字というコンパクトな字数で書けというのは結構難しかった。

時には小説であったり詩や日記と、いろいろな形での書き方を挑戦させられた。
スクーリング時では「2000字を200字に要約する」とかその逆(200→2000)、「同内容のネタを新聞社2社以上の記事を読んでまとめる」とか、かと思えば半年かけて児童文学の1作品をひたすら読み込み、都度感想文を書く、とかもやった。作文が嫌いな人にとっては1ミリも楽しくないと思われる。

 

私は文章を書くことは好きであったので特に抵抗はなかった。むしろここまで書く行為を与えられて、楽しかった。手を抜く気満々で選択したはずが、毎度しっかり取り組む科目となった。午後だからとて眠くなることもなく、面白いなあと思いながら授業を受けていた。

 

そして、提出するレポートには毎回私の字数以上の勢いで美人先生による「お返事」が書かれて返送されてきたのが私には大きかったのだと思う。
毎回ぎっしりと、赤ペンで私の提出した内容に対しての感想を書いてくれていた。それまで特に先生という存在に褒められるようなこともなかった私が、このお返事ではいつも褒めてもらっていたのだ。
その字の丁寧さと、熱いお返事の内容は私にとって安心感とやりがいに繋がっていった。
とはいえ、レポート上では熱くやりとりをしていながら実際の登校日にはほぼ美人先生とは絡まなかった。

何とも言えない不思議な関係性が、通信制では「あるある」かもしれない。
少し現代のSNSに近い感覚というか、現実とレポート上での関係に差があることを当たり前と受け止めている。こと現代文明論という、文章を書く科目の特性によるものであるとは思うし、また私自身がスクーリング時に見せるキャラクターと、レポートの中に落とし込むキャラクターとでは無意識に分けていた側面もあるからだろう。

当時の私は「自分の娘がこれじゃ絶対にいやだ…」と、今まさに出産を間近にしても思うような女子高生であったため、まさに悪いことばかりして調子に乗っていた頃である。
なので、そんな私が真面目に書いている文章を読んでいる先生と、実際に親しくするのは何だかこっ恥ずかしくて気が引けた。友人らには見せることのない、当時の自分の考えなり想いなりが唯一ばれているというか、決して弱みではないのにまるで秘密を握られているような感覚でもあった

言い換えれば人と接することでは出すことのできない部分を当時から自覚していたし、そしてそれをどうすれば良いかを持て余した年代でもあり、私という者がただただ口を開くならば溢れてくる言葉というのは、少なからずこの科目を通じて解放されたといえる。

実生活にて人に接する際は、いわば「それ用」の言葉であるため何かしらのフィルターを要するし、そもそも言葉とは相手に伝わらなければ意味がないので、年々自然と伝わりやすさを考えるようになる。更には「年相応」とか「モテる」とか「建前」とか、付加する要素が増してくるのだから、おそらく「純粋に湧き出てくる言葉」なんぞ成人を迎える前に見失うのが普通ではなかろうか。私もここでの駄文を通して好き勝手に書かせて頂いているが、ネット上である限り所詮「それ用」なのだ

ゆえに、まるで筆速と同時に初めて見る自分との対面を追っていくような、猛烈なまでの流れを持った思春期の時代に自分一人で没頭する文章、は書いた後に脳みそが汗をかくような爽快感があった。それはそれは見境がなく、闇雲に想いをぶつけまくるような世界が気持ちよかった。もちろん最低限の文の構成だの書き方についても授業にあったかと思うし、単位を取っているということは多分ちゃんと勉強したとは思うが、まったく記憶にない。

今の自分ではもう書くことが出来ない、良い意味での厚かましと、悪い意味での控えめさがぐっちゃぐちゃに混在したレポートの数々であった。卒業後も、より抜いた何点かをどこかにとっておいたはずなのだが今となっては行方不明だ。

 

そして、これだけ思い出として語っておきながら、美人先生の名前が見事に思い出せない薄情者の私…。