36歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。乳児の母。育児の不安に加え、なにかと不安な36歳。

出産②

「あれ、漏らしちゃったかな…?」

26日の午後、私は尿漏れと間違う生ぬるい感覚を覚え、破水と診断された。この頃には陣痛も後半戦に突入している。

本来であればLDRという陣痛から分娩、その後の休息までをその場で移動なく出来る設備の部屋にて一通りを経過する予定であったため、その間にかけようと思っていたBGMやらアロマオイル等の準備もしてきたのだが、まさかの「LDR渋滞」により、私は分娩の兆しがみえるまでは予備陣痛室で過ごしていた。いついざLDRへ移動になるか分からないので音楽もアロマもここで広げるのはやめておこう、となるべく荷物を開けずに過ごす。この時点でお腹の張りを示す数値は90位であろうか。


だんだんと増してくる痛みと、狭まってくる痛みの波。
知識として「陣痛とは10分間隔くらいから始まって…」「5分間隔くらいになって…」「順番は人それぞれだが破水をして…」と知ってはいたが、本当にそうなのだなあと
ぼんやりと思いつつ、リズミカルに押し寄せる痛みの波に素直に従っていた。

痛いに加えて、「なんか、出そう」という感覚が時と共に激しくなってきた。助産師さんに「いきみたい感じですか?」と聞かれ、ああそうだそれだわ、と他人事のように納得する。

が「子宮口が全開になるまではいきまないように」と指示をされる。今がどれくらいか確認するとまだ5、6㌢程であった。


オイオイ全開になるまでってちょっと、子宮口の全開って10㌢なんでしょ、まだ半分じゃんかよどうすんだよ、と助産師さんに言いたかったが、そんな発言をする力も節約したい意識が働き「分かりました」とだけ答えた。そうか、今私に求められているもの…これが噂の、いきみ逃しというやつか!


陣痛が本格化してからというもの助産師さんたちは皆、「井口さん、すごく冷静ですね」とこの数時間ずっと褒めて下さっているが、取り乱す余裕がないだけである。ひたすら深呼吸だけに集中していた。


感覚としては、子宮うんぬんより尻だ。尻をどうにかしてほしい。波がくると、腰から尻が外れそうな勢いが体の中でうごめいている。持参していたテニスボールと野球ボールを用い、その上に体重をかけて座るようにしてみたものの、もはやボールがそこにあるのか存在すら感じられないため、ボールは即お役御免となった。

時折助産師さんや実母が手でお尻を押してくれたのだが、それももはや気休めである。とにかく、こんなに勢いの持った尻は初めてだ。


ふと気付くと、痛みの波が更に短くなってきている。お産が進んできてるのだな、と思うもつかの間、痛みのギアがもう一段階上がった。


「!」


初めて自らナースコールを押した。尻からもう何か出るに違いない、いやむしろ出てるんじゃないかといわんばかりの勢いで、私という一個体の中で主役はもう尻である。私の想いとか考えとか、夢とか希望とか、仕事とかやりがいとか、売上とかワインとか確定申告とかもう全てうるさい黙れという感じだ。今はただ、尻から何か出てないかどうかを確認して頂きたい。

内診の結果、子宮口が7㌢を超えた。今のところ尻からは何も出ておらず良かったが、LDRへ移動することになった。車椅子を用意されそうになったが、そこに座る手間の方がしんどく思い、よろよろと歩いて移動した。この間にも促進剤は増えていく。もうやめてくれ、という思いで点滴を眺めるも「産まれるまで終わらないのだ」という当然のことを今一度思い、気が回るときにはひたすらお腹を撫でるようにしていた。

 

ああ、痛い。痛いってことは順調なのだ。順調にこの子は、こちらに出てこようとしている。


LDRで台に上ったあたりでは、更に痛みのギアも上がる。またしても「!!」とビックリマークが全身を駆け巡るようである。この痛みは天井知らずなのか?どこまで強まるんだ?!

心の中ではそれなりにパニックであったが、実際にはほぼ無口でいた。ただでさえ喋るのが億劫なタイプの私にとっては、このような局地的場面において真っ先に省エネを図りたい部分こそが声を出す行為であったのだ。この時もまた「井口さん取り乱したりしませんね」「呼吸が徹底されてて良い調子ですよ~」と助産師方には褒められていたが、返事をするのも面倒であった。

子宮口は9㌢になり、あともう一息である。楽な体勢で良いよと言われるものの、何が楽なのかよく分からず困っていると、担当医が巨大な真ん丸のクッションを持ってきてくれた。それにしがみつくと、いきみを逃しやすくとても助かった。

 

そしてこの時、不思議と眠気に似た初めての感覚に何度も何度も陥った。
痛みの間隔は3分を切っていて、ざっと約1分痛みを味わうとすると2分休憩があるような感じであるが、その2分の間に私は気を失っていた。それも温かい感覚でだ。
痛みが来ると起こされる。痛みの間だけ痛みを味わいあとは寝る、ような感じで、私はこの時に創世記の「人を深い眠りに落とされた」という内容を思い出していた。

自分の意識が痛みから遠ざかる度に、私自身はゆらゆらと心地よい流れに乗っているような、そしてすぐそばまで新たな命が押し迫ってくるその勢いは、赤い津波のように見えた。陣痛然り破水然り、私が指令しているわけでもなく、意識の届かぬところでいざお産が進んでいくこの体は、自分のものであってそうでない、神秘的であり、システマチックにも思えた。


と同時に、お腹を撫でながら赤ちゃんへ声もかけていた。もうすぐ会えるのを感じていた。早くおいで、と言いたかったが変に急がれて必要以上に痛いのも困ると思い、マイペースで良いよと言いつつ、既に名前を決めていたが母にまだ知られてはなるまいと思い、「赤ちゃん」と呼んでいた。うっかり名前を呼ばないよう気を付けるだけの余裕はあったといえる。

 

そうこうするうちに子宮口は全開となり、いきむことになった。よし、と思ったものの、この数時間ひたすらいきみを逃していたため今度はいきむってどうやって?!と
頭が混乱し、コツを教わったりしながらしばらくいきむ時間が続いた。好きな時にいきめば良いわけでもなく、この時点では1分を切っている痛みの波に合わせる。ここから難航したため結果的に会陰切開、吸引分娩と処置をしていただき、19時過ぎに無事に我が胎の子は産声を上げた。


自分もこのように世に生まれたのか、とぼんやり考えていると、私の胸の上へ赤ちゃんがやって来た。
自分はきっと感激で泣くだろうと予想していたが、意外にも泣かなかった。ただ赤ちゃんに、よく頑張ったねと声をかけて体を撫でた。

 

生あたたかな、私ではない別の命の体温を抱きその顔を覗く。初対面である。子の顔はこれまで想像がつかなかったので、いざ対面し妙に感心する。
可愛いとか感動より、この子がずっとお腹にいたことや過去、未来、きっと私が死に至るまでのあらゆる時間が、この子と出会い共に生きることなのだと一つ答え合わせをしたような、全ての理不尽さすら腑に落ちる圧倒的な尊さを感じた。


切開後の処置等して頂きつつ、私はすでに空腹を覚えていた。昼食をとばした上、出産時刻がまさに夕食の配膳時間であったため当然こちらには配膳されず、今夜のご飯がないことを不安に思い、母にコンビニでおにぎりを買ってきてくれと頼んだ。

数時間後よろよろ歩いて部屋に戻った時には「ああ、無事に帰還した…!」とほっとした。自分の手荷物が愛しく目に映った。


早速おにぎりに手をつけようとしたら助産師さんがやって来て「えっちょっ井口さんお腹すいてます?!もう食欲あるっていうのはすごく良いことなのですが、一応まだ経過見てるところなのであと2時間は食事を控えてほしいかな…」と
非常に遠慮がちに言われてしまい、やや恥ずかしくなった。何ならおにぎり2個では足りないと思っていたところだったのに…まだ食べちゃダメなんて…!


日頃から「どちらかと言わなくても不健康」の私が、酸欠も貧血も起こさず無事に出産に至ったことは自分で一番驚いている。心拍落ちることなく娘が本当に頑張ってくれた。妊娠することから始まり、出産に至るまで育ってくれたこと、1日1日が奇跡的な積み重ねであるとまさに身をもって感じた。

 

そしてこれを書いている今、新生児の彼女に私の全ては占められ小さな小さな彼女の1日1日がまた奇跡的に感じている。今後ずっと感じていくのだろう。

 

そんな私は現在36歳でもう小さくも可愛くもないが、この一部始終を見守る私の母もまた、こんな気持ちでいてくれているのだと知る。後にも先にもこんなに実家で過ごす機会はないと思われるこの里帰り期間はきっと、のちに私にも母にとっても色濃く思い出される貴重な時間になるのだろうな…。

これから訪れるあらゆる事に期待と感謝をもって、共に歩む新しい存在にめいっぱいの愛情を注いで生きていきたいと思います。


長~い文章、お読みくださりありがとう。

分娩後に食べたセ〇ンの赤飯おにぎりは、さいっこうに美味しかった!!