37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

オナラ

その生涯において、伴侶にすらスッピンを見せずに添い遂げた祖母については以前チラリと触れた。祖母は加えて、「服を着たところと裸は見せるけど、着替えているところだけは夫に見せない。不格好でしょ」という意識まで持っており、巷に溢れかえる女子力だのの遥か上をぶっ飛ばした「女とは」的な持論をかなり暑苦しく抱いて生きていたわけだが、そんな話をさんざん聞かされて育ってきたにもかかわらず、私の今回のテーマは掲題の通りである。オナラだ。

 

まずハッキリと申し上げたい。私はオナラが我慢できない。

①我慢をしてお腹が張ったり痛くなってくるあの感じ、また

②一瞬耐えてはみたものの例えば目の前で友達がなにか面白いことを言ったりなどし笑いそうになる際、耐えられたはずの波が勢いを増して再びやってくるあの感じ、更にはこれまた以前書かせて頂いた

「ここで笑うわけにはいかない」というような場面でダブルでもよおしてしまった際の「笑いの他にケツまで気合を入れなければならない」あの感じ、が耐えられないのだ。

 

③に挙げた場面においては、笑うことを耐えなければ人格を疑われかねない時もあるため、全神経を神妙な表情作りに注ぐ必要もあり、ケツへの余力を失われているケースが多い(ex/葬儀中)。このケースは外的要因による我慢の不可、であるので、パターン①の内的要因(要はおのれの腹具合のみ)とは背景が異なる。

②も友達という一見③に通ずる外的要因では?とお思いの方もいらっしゃるかもしれいないが、よく熟考して頂く必要がある。あくまで②はいったん我慢してしまったからこその「自分が生み出した波」であり、実は友達のせいではなく、それは内的要因の範囲を超えない。③のみが、「ケツよりも優先すべき特別事項がある」差し迫った状況につき、ケツに注ぐべき余力を失っている緊急事態なのである。

 

細かに分類をしたのは、おそらくほとんどの人が「①②は我慢できるけど③は仕方ないわね」とか「私は③でも耐え抜いてみせる」とか、はたまた「①も我慢できる自信がないよ」と、自らに許せるオナラの理由が各々で異なるであろう、と考えたからだ。冒頭で触れた祖母などは、完全に「③でも耐え抜く」であろうし、思えば母も私の前でオナラをしたところは見たことがないが、私はどれにあたるかといえば以下である。

「いかなる場合においても」「私という人格が」「我慢をしない」。

 

ーー我慢をしない。それは生き方の指標やビジネスや恋愛など、あらゆる分野で真面目に語られそうな文言ではあるが、繰り返すように掲題の通りで、オナラだ。私はオナラを我慢しない、と決めて今に至る。

 

かつては人並みに我慢をする思考回路で生きていた。だが、パン屋でアルバイトをしていた学生の頃のこと、食パンをスライサーにかけていたときに私はオナラをもよおした。当然まだレディなつもりの私は我慢をしようと意識が働き、手元が鈍った。私の親指は3ミリスライスされ、即刻病院へ、縫われるハメになった。

 

激痛の中で、私は心から悔やんでいた。オナラなんか、しときゃぁ良かったのだと。しばらくバイトも出られず収入は減るし、まだ若いんだからオナラごときアラごめんなさいで済んだ話で、誰に詰問されることもなかったのだ。大体、音も出なかったかもしれない。利き手だったのでペンも持てず学業にまで支障をきたし、踏んだり蹴ったりであった。

 

そして私は、我慢をしない、と決めたのである。これは上記③ケースはもとより、現実では更に複雑化した状況の例がある中で、「我慢しない」を完遂するためにはある条件を要する。そう、それはあの鈍い音をサイレント化する、訓練したケツであるということだ。

 

世の中あらゆる資格があるように、オナラを我慢せずにするというならするための資格といえるだろう。私は意識して音のサイレント化を自らに課すようになっていった。何事も積み重ねである。次第にあえて音を出す方法や小出しにする方法も習得した。それからの私は自在にオナラをし、してもバレずにその場を過ごし、余裕のある生き方をしてきた。だが、暗転するのである。いつからかハードが古くなった、といえば伝わるであろうか。

 

技をアップデートしても身が対応できないのである。訓練が、効かない。文字通りのゆるみというやつだ。その事を痛感したのは、今では夫である彼と、交際することになったかならないかくらいのまさにトキメキの頃で、20代後半の私である。

 

その日、初めて夫の家に遊びに行った。少し緊張もしながらまだ猫をかぶり気味に、酒を飲みながらウフフとお喋りをしている最中である。私のケツは、資格を剥奪された。大きな音で、やらかしたのだ。

 

「この恋これにて終了」という思いが駆け巡ったが、資格を失った私をも受け入れてくれた彼により、お陰様で結婚するに至っている。だが私はまた派手にやらかすのである。入籍後、夫の地元へ帰省した際に夫の友人達が人前式のような結婚パーティーを開いて下さった。余談だが野郎だけが何十人と集うその会は、イカツいとしか言えぬ雰囲気であった。

 

とはいえそれなりに粧し込み、新婚間もない我々は非常にラブラブな雰囲気で夫実家へ帰宅した。夫は3人兄弟のため、弟や今は亡き夫の祖母が居間におり、帰宅後も改めて飲んでいた時のことである。

 

そこでやらかしたのだ。百歩譲って、夫はまだ免疫がある。だが弟達は、当時まだ数回しか顔を合わせていない関係だ。資格の剥奪どころか永久失効が決定された瞬間であった。

 

あの瞬間の皆の顔が忘れられない。漫画のように目を真ん丸にしていた。当たり前だ。つい先程まで新婦として祝われていた女が、長兄の嫁になったばかりの女が、普通はどう考えてもする事ではない。

 

あれから約8年が過ぎ、2019年に娘に恵まれた。

娘に恵まれたあの日。

先述のケース③は、外的要因の合わさった危機迫るものであるに違いない。が、その危機なんぞ、せいぜい天下一武道会のようなまだヤムチャがちょろちょろ存在出来るくらいのレベルであったと思い知らされることとなる。分娩という異次元の世界は、亀仙人の修行では到底通用しない世界であったのだ。

 

いざ分娩時のケツの激しさというのは、天津飯だのが相手ではないのである。魔人ブウだ。しかもシュッとしてる方のブウだヤムチャなんて存在する隙すらない。現にブルマも忘れてベジータと結婚しているではないか。明言は控えるが、分娩時の私は自我を超えるケツの激しさに理性も心も何もかも、全てを支配されたとだけ記しておく。

 

私は、改めて言おう。我慢を、しない。もう訓練したケツも持たない無資格者である。

無資格者が我慢をしない、それがどういうことか。

 

品性を失い、あるのはケツの衝動のみということだ部屋の乱れは心の乱れとか、そんな話はあまちゃんだ。ゆるんでいるのだ。財布や気を引き締めてもケツは引き締まらない、そういうことだ。

 

せめて出来る事は何か。

オナラをしてしまったら謝る。素直に謝ることだ。それだけは失ってはならない

 

祖母のように「女とは」なんて到底語れぬ。だが一度は自在に操れるまでに訓練をし、失墜したからこそ語れることもある。

 

あの頃の私よ、どんなに痛い目見ても決して我慢しないなんて決意をするんじゃない。恥じらいを捨てたからこんなに下品な話をお客様もご覧になっているにもかかわらず、垂れ流す羽目になるのだ。そんなバカな事言ってるから良い年こいた今もバカなのだ。

自粛の解除へ向けて世の中が動いておりますが、改めて気を引き締めると共に、皆様にはケツの方も忘れずに引き締めて頂きたいと切に思っております。