37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

あんたんちの上の階って葬式してるぅ?

東名を走っていると、また郊外の下町を走っていても、ラブホが連なる界隈や腰を抜かすような規模の団地を見かけることがある。子供の頃からなのだが、なぜか私は規模が大きければ大きいほど、団地のその一部屋一部屋について、ラブホの一部屋一部屋について、思いを馳せてしまうのである。

 

まず、その建築であろう。ラブホについて言えば、まず先述のような景色にて見かける場合、限りなくダサい。しかし、建物の構築がいかに手間がかかるかを自店を通し体感した身としては、「ださー」と笑ってしまうようなラブホであろうとそれを手がけた方々がおられるのだ、と分かる。どんな思いであの壁をあんな色で塗ったのだろうか。

 

そして、どう考えても、仮にこの地に超バブルが訪れたとしても、20軒くらい連なるこのラブホが満員御礼!少々お待ちくださいませ!!という話にはならんであろう。そもそもぶっちゃけ、僻地である。こんな所にセックスに励む連れ合いが混み合うとはとても思えない。

 

眺めていると廃墟となっているラブホも多く、それを見ると尚のことゾクゾクする。何だろう。空間とは、建物とは、人間とは、などなど色々のことをモーレツに考えてしまうのだ。

 

そして、団地だ。

 

大きな団地であればある程、ちょっとした商店が隣接されており小さな街のように形成されている。具体例について山程挙げたいが、具体例を挙げることをここでは無粋と判断するため、せずに進める。

 

昔から、学校から帰ると1人であった。

 

兄弟もいないし、帰宅後は1人の時間であった。ああ、猫と亀はいたのだった。そしてKAWAIの電子ピアノが、家に似つかわしくなくあるのであった。

 

宿題をしたりピアノを弾いたりするものの時間を持て余した。

家は貧しかった。

ゲーム機器もなければ便所は和式、電話もダイヤル式、作り付けの棚は全て傾き、ボロボロで穴が空いて用途を成し得ない襖、ガスの風呂場は梅雨にはナメクジが出、言うまでもなく酷い外観のアパートに住んでいた。今だから言えるが当時の私は家が恥ずかしくて、友達を呼べなかった。でもそれは親には言ったことはない。共働きしている両親に対し、また食べるに事欠くことないよう頑張ってくれている親の前で、家が恥ずかしいなど言うことの方がよっぽど恥ずかしいと思っていた。

 

尚、余談だが今は違う。子供にそんな気を使わせることが恥ずかしい。家が貧乏で友達を呼べない、それだけのことが、それだけのことで、心が斜に構えるようになったことが沢山あるから、それを私は子にしたくない。

 

とはいえ、閉塞感の中にある僅かな自由が、帰宅後には確かにあった。それは閉塞感なしには存在し得なかった。広告の裏に絵や文を書く。空想にふける。そのときの熱量は、きっと今どんなに良い環境を与えられても、再び宿ることはないだろう。むしろ、整った環境下においては生まれようのない熱量なのであった。一人っ子で喋る相手がないことも、そもそも内向的な性格であることも、そして家にプライバシーが守られるような扉ひとつなかったことは、ただ黙って言葉を紙に綴りまくる他に私に感情表現の選択肢を与えず、紙の前で息を殺して鉛筆を走らせることのみが、素直に自分の気持ちと向き合える瞬間であった。

 

団地を見てゾクゾクくるのは、まず、その世帯数である。世帯数の数だけ、生活がある。何を思い考えながら、過ごしておられるのだろうか。いろんな年齢層や、国籍の方がおられるであろう。そしていろんな背景がそこにある。

願望に近い見解を語るなら、そこには私自身が幼少期に感じていたような熱量が、ひしめき合っているのだろう。

 

書いていて変態なんじゃねえかなと我ながら思うが、団地を見ているときに沸き上がる興奮は性的なものとかなり近い気がしている。階段などに是非半日佇んでみたい。何がしたいわけでもない。

 

この感覚は、家の中にきちんとした扉があってお友達を普通に招くことができた環境に育った者には、1ミリも分からなかろう。逆に共感されてもイライラする。少しずつ歪んでいく肯定感に自ら気付きながら、心を置いて体だけ成長していく。テキトーに恋愛したりファッションに金をかけたり反抗期を爆発させたりして、辻褄を取りながら生きる。私は家の心地よさに飢えている。欲しいのはそれだけであったと後から知るものの、知るまでには学歴もメチャクチャにしたので、成人後は派生した結果によって、尚更生き辛さを感じたものだ。

 

今の私は私の人生をこの上ないギフトとして受け取っている。但し、環境の現実的な形として、我が子に似たような思いをさせたくないし、高校くらい普通に行けよと思う。ハッキリ言って学歴なんてものは、あってもなくても人格そのものにはあまり関係がない。学生時代という年齢は、人格を練る時であると思うがゆえ、勉強やスポーツを頑張ることで体験しても良かろうし、よく分からないけど学生生活楽しもう〜でも良いし、16から働き通してみるのも良かろう。しかし母となった私の実体験からして、高校の学費も手前で稼ぎながらその時代を過ごすのは、少し勿体ないのだ。早くから大人にまみれることでの面白さは確かにある。勤労学生として大人には褒められても、放課後に友達とキャッキャと遊べる眩しさに比べれば、シビアさなど身に付いても疎ましいだけであった。それこそ年間の給料と引き換えにしたいほど、放課後の学生が羨ましかった。

 

当時からうっすらと感じていたが、あの眩しさの正体とは「時間」なのだ。果実が青い時期を経て熟すように、結実して即色づくなんてことは不自然なことなのである。私は不自然のスパイラルにて育ち、

青さを今になって経験している。この歳で恥をかくことが多い。でも、これも私の分であるから感謝している。

 

ラブホと団地にゾクゾクする、この話を「ラブホと団地を一緒くたにするなんて!」「実際に住んでいる人の気持ちを考えてるのか!」「その辺りのラブホで良い思い出があるのに!」「そもそも団地を見下しているだろう!」という方もおられるかもしれないが、私はね、団地に憧れてたんですよ。

 

団地ならね、同じ建物に住む同士がたくさんいるじゃない。それだけでどれだけ心が救われると思うか分かる?同じ学校の子がちょっとはいたりするでしょう。

 

私はね四世帯しかいないボロアパートで、上の階の人なんて訳分からん宗教で深夜にギシギシ軋むほど揺れながらお経唱えて、ある時なんて「この1週間お葬式しててスミマセンでした」と、菓子折り貰ってさ、六畳二間のこのアパートに、ていうかあんたら家族みんな元気じゃん、誰のご遺体1週間もあったんだよみたいなね、カオスに支配されてたんですよ。団地ならそんな事やらかす住人、退居でしょうよ。

 

団地って羨ましいなと焦がれてたのよ。

規格があって、国営で、身元が判明してて。

 

 

今の私、何のストレスもないの。あるのは夫が常軌を逸してムカつくことをやらかす時だけで、仕事で追われるのも育児が大変なのも幸せでしかない。住居なんてナメクジ出ないだけで最高なのに、贅沢すぎるわといつも思う。家電があって、制限されずにお湯出せて、各部屋に扉がある。子供の頃の私が憧れていた、扉のあるおうち。上に奇妙な葬式する人もいない。

 

私は郊外のラブホは行ったことはないけど

 

あのラブホの趣味の悪い眩しさにすら焦がれるほど、家が嫌いだった。子供の頃から、ドライブで(車はある家だったの。それがまた怒りだった、その維持費で少しでも良い家に引っ越してほしかった)見かける度に、あのネオンにボンヤリと見惚れた。

 

団地も同じく、あの光の数だけ、見惚れた。

 

なんだかノスタルジー気味ですが、現在娘たちが夕飯でこぼした米粒を娘たちが自ら踏みまくり、その足で娘たちが遊びまくったがためにベッタリとソファにデンプン感が満ち溢れた事態の収束に徹している次第でございます。まったくノスタルジれない。