37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

カーリー

親しい人には話したことがある内容につき恐縮だが、開業前に4年弱の間住んだ小田急相模原という街において、私はカーリーになっていた。それまで23区から出たこともなく、愛する西荻窪の街を離れてまったく土地勘のない新たな県に引っ越しをするのは、当時の私にとっては大変勇気がいった。大変勇気を出した結果がカーリーだ。今振り返り改めて考えてみても、カーリーとして過ごすことは今後の人生においてないであろうと思われる。カーリーとは?後々詳しく触れるが写真をご確認頂きたい。

 

行ったことのない方のために説明させて頂くと、小田急相模原とはその名の通り小田急線の相模原である。新宿から向かうと、町田の2つ先だ。JRの相模原駅とはかなり距離がかけ離れているので、うっかり待ち合わせ等で間違えると悲惨な目にあうよ。

 

そんな小田急相模原はだいぶ駅周辺が整備され、高級なマンションも立ち並びつつ、スーパーやコンビニにも困らず生活の便は非常に良かった。

 

だがその昔はスケベな野郎共がわざわざ出向くほどのピンク街。名残のある怪しげな界隈をはじめ、パチンコ屋も多く、開店前から列をなす。明らかにお仕事はしていなそうな中高年の皆さまがコンビニ前などにたむろし、真っ昼間でも飲酒をしながら通り過ぎる若人へ声をかけたりしている、そんな街だ。都内だと小岩に通ずる雰囲気を持ちつつ、更には加えて座間キャンプも近いためアメリカ人の方が多く住んでいるのでアメリカンな空気も併せ持つ。ちなみにキャンプのアメリカ人の皆さんは基本上品な方々が多い。

そしてなぜか、アフリカと中東の方々も多いのである。深夜に白装束の男性陣がコンビニの駐車場に集まり物々交換をしていたり、絶対にお酒ではなかろうと思わしきテンションの上がり方を見せるもはやナニ人か不明な黒人の方々など、過去に大久保で働いていた時もカオスを感じたがまた種類の異なるカオスを存分に感じさせてくれる街であった。カオスが好きな方にはオススメだ。

 

そして、少しばかり様子のおかしい方々、というのが非常に多い街でもあった。上記の皆様方は、分かりやすくガラが悪かったり怪しかったり下品だったりしておられるのだが、ここでいう様子のおかしい方々、というのは日本人で、一見普通の身なりで、例えば同じ電車に乗っていて改札を出るまで至って普通であったのに突如「ウォォォォォ!!!」と叫んで全力疾走をしたり、スマホで喋ってるのかな?と思いきや1人でにこやかに会話をしていたり、通りすがりの犬に突如大激怒したり、駅前の広場で「エクスカリバー!!」と叫びながら暴れたりするような方々である。そのような方々に、毎日といって良い程遭遇する。当時の自宅は駅から大通り沿いを1本道で、徒歩8分位であったが、時には8分の間に3人程遭遇する。繰り返すが、カオスが好きな方にはオススメだ。

 

説明が長くなってしまったが、数年住んでいるとこちらも慣れてくるというもので、あまり気にならなくなってくる。次第に、怪しいと感じる感度が低くなるため来たばかりの頃なら少々距離をとらせて頂くような方が近くにいても何とも思わない。そんなある日、私は出勤しようと駅へ向かって歩いていた。遅番だったので、昼過ぎのことである。

 

その横断歩道には、「道行く車へ深々とお辞儀をし微笑む女性」というのがよくいた。もう見慣れていたのでどうとも思っていなかった。あれ、今日はあの女性いないなーと思った。その瞬間である。

 

信号待ちの際、ハッ!と気付いたときには背後、5センチもないのではという至近距離にその女性が立っていた。女性は目を見開き、私の背後でハアハアしている。

 

眼鏡をかけ、変に奇抜でもないおとなしそうな女性である。そして手を合わせ、すりすりしながら何かしゃべり出した。

 

はっきり言って、びびる。早く渡りたい。何を言っているのだこの人は。最初のうちは何語かよく分からない言葉をずっと早口でまくしたてていた。

そしてだんだんとテンションが落ち着き始め、こう言っていた。

「カーリー様、カーリー様、何卒よろしくお願いいたします…」

 

ええ?!思わず顔のこわばる私に、女性は「お気を付けて行ってらっしゃいませ」と深々とお辞儀をした。信号が変わったのだ。

 

そそくさと渡りつつ、しばらくして振り返ってみてもまだこちらへお辞儀をしていた。それからである。以降、道で遭遇すると私は「カーリー様…」と拝まれるようになった。

 

たまに、遭遇したくないので遠回りになりつつもわざと反対側の歩道へ渡ってから駅へ向かうこともあった。だが、女性は遠目にでも私を確認すると深々とお辞儀し拝んでくるのだ。カーリーを見逃さないのである。

 

真面目な話、それで家や職場に付いてこられたりしたら警察に言わねばならないが、とにかくその場所でのみの話であったので、私も特に何もしなかった。

カーリー様と呼ばれるようになり、こちらもカーリーについて調べざるを得ない。ざっくり言うと、ヒンドゥー教の神々の1人で時間と殺戮と破壊の女神、今も南インドでは毎朝生贄として山羊が捧げられており、19世紀まで実存した殺戮を教義とした秘密結社で信仰されていた。かの有名なシヴァ神の妻である。図説によると人間の腕でできた腰みのと生首でこさえたネックレスを装着し、真っ青な顔身体で、夫のシヴァを踏み付けている。カーリーがとある戦にて勝利し、喜びのあまり激しく踊り過ぎ、その踊りで世を破壊しそうになったため、自らをクッションにとシヴァが踏まれているらしい。

 

どういうことか。夫を踏みかねないところしか合ってはいないではないか。私は青くはない。どちらかというとケロッピやガチャピンに似ているとよく言われるため、黄緑である。尚、何か他にカーリーという名のファンシーなキャラでもいるかもしれないと思ったが、女性はサンスクリット語でオームと書かれたグッズで身を固めていたため、おそらくシヴァの嫁が固いと思われる。とはいえ私は山羊どころかラムも食べないし、夫が破壊的ニュアンスを持つのは通ずるかもしれないが、とりあえずカーリーではない。でもカーリーなのだ。

 

特に関わることもなく、一方的に日々拝まれながら、オダサガを去った。今頃あの女性はどうしているだろう。

 

ウケる話で終えたい一方で、カーリーを拝むその心を思うと少し胸が痛む。インドなど土着信仰している背景では、日本人の我々が神社の祭りにベロベロで行くのと同じで単純に生活に密着している。そしておそらく、本来のカーリーを信仰する宗教ともまた形を変えてしまったものと化しているのはいうまでもない。

 

少なからず心の病んだその人が、拝む神として選んだのにはそれなりの準備があったであろう。準備、とは即ち情報を自ら仕入れたということだ。ファッションで触れるヒンドゥー教ではなく、信仰に至るまでのヒンドゥー教とは日本ではあまりにも身近ではない。ましてや掘り下げればすぐ分かる通り、ヒンドゥー教においてカーストは色濃く、他宗教からの改宗は認められてはいてもカーストが最も低くなることを踏まえると相当の気合を要する。土着で信仰のある人ですら最下のカーストの場合は何かと辛くて、それが嫌で他へ改宗するくらいである。

ヒンドゥー教で育ってくれば単純に馴染み親しみもあるであろうが、信徒以外からすれば殺戮の面が特に強調されたこの女神を、この大人しそうな女性は拝み、そして通りすがりの見知らぬ私に重ねるというなら、もしかすると想像もできないような憎しみやトラウマがあるのかもしれない。破壊に沿うならそれこそ教理としてもシヴァ神の方が位も高いのに、カーリーであるのは女性性への安堵もあるのかもしれない。色々とお節介に、思いを馳せてしまう。

 

なんか前半オダサガディスりましたけど、今となってはめっちゃ行きたい場所のひとつです。初めてイチから自分で動いた街だから。そして出会った方々と、今も繋がっている。大好きな人がたくさんいる街です。

 

f:id:megumiiguchi94:20210313071522j:imageまあカーリーなんですけどね。