37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

里帰りをしみじみと。

さて、いよいよ正期産と呼ばれる37週に突入し、実家のある杉並区へ里帰りをしている。分娩する病院での妊婦健診も週一回のペースとなり、これまでどの時期においても比較的よく動ける方であった私も、さすがに長い時間外にはいられなくなってきた。おかげさまで経過は順調であるため必要以上に安静を強いられることもなく、動かなすぎるのも良くないので一日のうちに一度は必ず外の空気を吸いに出るようにしている。もちろん毎日調子が良いわけでもないので、気分の乗らない日はベッドで寝てばかりの日もある。

 

里帰り前の数日間はかなり心が落ち込んでいた。当日も、いざしてからもしばらく、落ち込んでいた。寂しくて仕方ないのである。夫と愛猫と離れるのがとにかく辛い。いつもは内心で舌打ちしたりしてるにも関わらず、こんなに自分が寂しい気持ちになるなんて、予想していなかった。

今日は天気も良く、先日の健診においても概ね良好とのことであったため近所を一人、散歩してみた。

 

私が実家にいたのはもう16年近く前の話なので、当然ながら多くの景観に変化がある。
事情により同区で実家の引っ越しが二回あったので、現在の実家の前に住んでいた場所のうちの一カ所を通ってみることにした。

その場所に行くまでの道すがら、静かな寺がある。親に聞くところによると、ここ最近では庭のライトアップなどをしているらしい。こんなほぼ住宅地の都内の寺でどういうつもりかは知らないが、こじんまりとしつつもなかなか綺麗な寺だ。昔から除夜の鐘などもついており、大晦日に甘酒をもらいに行ったなあと思い出す。
遠い親戚の墓も確かあったかと思う。誰のだか忘れたが。


私の両親は共に杉並区の出身であるため、父方、母方の祖父母の家も生前はこの近くにあった。通っていた中学校もこの近くであったし、20代半ばに一人暮らしをする際、部屋を借りたのもこの近くであった。あらゆるエピソードがあるといえばある、そんな場所だ。


もっとゴチャゴチャと学生時代の事などが思い出されるかな?とてくてく歩いてみたが、心を揺さぶったのは実にシンプルで、その寺の角を曲がる瞬間の景色のみであった。

 

モミジがトンネルのようになっている。
トンネルと呼べるほど実際には立派でもないのだが、見上げてみると空を仰ぐには邪魔をするかのように、モミジの葉っぱがカーテンのように連なっている。
季節的に、紅葉のピークを迎えているものもあれば過ぎたものもあり、まだ迎えていないものもあり、要は見目に赤黄緑と
三原色が並ぶのに(それを言うなら厳密には青だけど)、決して派手な色彩には感じない。ずいぶんと落ち着いた色に見える。

私はクリスチャンなので寺について宗教的にはどうとも思わないし、パワースポットだとか浄化されるとかは興味がないのだが(お守りなどを頂戴するのはそのお気持ちが本当に嬉しいので感謝しております!)、単純に建物として綺麗だなとか、空気の落ち着きを
感じることはある。
昔はそれを「日本人ゆえの遺伝子」だからと勘違いしていたが、30を過ぎてからは「懐古」と「人間ゆえの遺伝子」だからだと思っている。

 

物心ついたころからなじみのある景観、誰かの生死の節目、神聖とされる場所、行事ごと、生きている間に体験する場面として実に深く刷り込まれる機会の多いのが寺と神社だ。
そこには友達と行った縁日、だとか、毎年盛大なお祭り、だとか、実際の生きた人間関係においての記憶も共に重なりゆく。地元であればあるほど、そこで歳を重ねて子供から大人へ成長してきた確かな歩みを振り返ることができるし、振り返る際にわいてくる想いはどこかきゅっとくるような切なさがあるのではなかろうか。そしてほんのりと、温かさも。

それはごっちゃになりがちだが、決して「信仰」や「国民性」によるものではない。日本人として生まれても、仮に私がタイで育てば、スイスで育てば、メキシコで育てば、ケニアで育てば、その土地その土地の景観を懐かしみ愛おしいと思うであろう。ゆえに、「日本人だから」寺社仏閣に落ち着きを覚えるものとは思っておらず、それは現在進行形で生きる自分の半生の懐古であり、またひょっとすると親や祖父母といった先代たちの語ってきた記憶に基づく懐古であり、それ以上でも以下でもないと私は考えている。私はね。

 

そして、同じく懐かしいとか思い入れのある場所ならば、どんな人の記憶にももっともっとあるであろう。学校はじめ、毎日立ち寄ったコンビニやらファミレスやらあるかもしれないが、みな、いくら青春の思い出の詰まった特別なコンビニだからって、セブンイレ〇ンに拝んだり願掛けしたりはしない。

 

「人間」のいるところには必ず信仰心がある。いやいや俺は何も信じない無神論者だぜ、という人はたくさんいるしそれはそれで結構なことなのだが、そういった人であっても例えば電柱に小便はしても、見知らぬ人の墓に小便したりはそうしないわけで、目には見えない何かしらを、多かれ少なかれ潜在的に区別して行いを変えることというのは誰もに共通する心理ではなかろうか。あとは大自然を前に圧倒され、怖くなる気持ちも似ているのかもしれない。

 

今日は寺のモミジに、自分の幼い頃の記憶をも引っ張りだされて少し切なくなったが同時に嬉しくもあった。
亡き祖父母たちと、この道を通った小さい自分の姿を見たような気持ちだ。実際手を繋いで通ったし、その都度どんな気持ちだったかに思いを馳せると少し涙が出た。

 

これから生まれるお腹の赤ちゃんのことで、大人になってこうしてこの道を歩いているだなんて小さかった自分にはまるで想像のできない未来なのだろう。

私の両親も、私が生まれるにあたってどんな気持ちで過ごしていたのかなと思う。里帰りは寂しいけれど、両親とこんなふうにゆっくり過ごせることもそうそうない事なのだ。

よく考えてもみたら、同じ都内に住んでいながら実家には正月くらいしか来ていなかった。

 

赤ちゃんの体重は2600gを越え、もういつ生まれても良い状態とのこと。
いったい、どんな子なんだろう…  会うのがドキドキする。

 

出産が怖いのは変わらないけれど、きっと母も祖母も、こんな気持ちになってその日を迎えてきたのだろうとふと思った今日この頃。そして、夫の親族もまた同じようにドラマがさかのぼって存在するのだ。先祖をたどると誰しもが、あまりにも莫大すぎる人の数になるのだ。漠然と圧倒されてしまう。


しみじみ、人の誕生って不思議と奇跡の連続なのだなあ。お腹の子をこの手に抱くとき、どんな気持ちになるのかな。目前に差し迫りながら、不思議な想いでいっぱいです。

 

 

言葉で人は判断される

わりと最近の出来事である。
推定するに私より10歳ほど年上であろうか、初来店され、私のお腹の大きさを見て予定日を聞いてこられた男性にいろいろとお応えしたら次のように言われた。

「え、一人目なの?なんで?36歳でしょ?」


言うまでもなく不愉快極まりないわけだが、このような発言をする男が自分の発言により相手が不愉快になっていると気付けるはずもなく、それどころか「妊娠出産に関心のある俺」という自負による、勘違い甚だしい自信に満ち溢れながら言葉を重ねてくるので思わず使える空瓶を探してしまう。この際なのではっきりと申し上げるが、お客様だから何を言われても怒らないとか傷つかないとか、店側として愚痴は言わないとか、お客様のなさったことはどんなエピソードも胸にしまっておくだとかそういうつもりは一切ないのであしからず。
ムカついたらせめてネタにするわバカヤロー。

あー、シャンパーニュでも空いてりゃ重くて一撃で頭カチ割れそうなのになあとボルドー型の空瓶では物足りなさを感じつつ、「うちの嫁は3人産んでるよ」「初産は20代前半」だとか、「もっと計画性もって早く作ればよかったのに」「養う男も大変なんだよね」「二人目はどうするの?」「早く帰りなよ」等々、このような発言を「余計」と形容せずに世の中の何が余計であろうかと思うようなことを言ってくる。

いっそ、辞書を引いた際にはお前の名前が「余計」の箇所に載ってろ、と思う。もしくは「クソ」あたりに載ってろ。それか今すぐ頭割れろ。


マジでファッ〇が過ぎる発言をする人間は多々いる。私もたいがいクソどうしようもない奴だが、親しくもない相手にどうして一方的に質問責めをしたりできるのか、日常的に面接官でもしているのかもしれないが、何一つこちらからは聞いてもいない持論を勝手に繰り出し始めることへまるで共感し得ない。

重ねて言うが、こちらからは「別に聞いてない」のに、ああしろこうしろ言ってくる人に会うと思わずその人の耳や口の動きを眺めてしまう。せっかく聴力や声に恵まれているのに、無駄すぎるなあ、と思うからだ。

 

今回は36歳で初産の私、についてであるが、妊娠前はあらゆる人から「子供をもつ素晴らしさ」をとうとうと語られたものである。赤ちゃん可愛いから早く作りなよーとか、悪気はないけど配慮もない、よくある発言だが(そう言うと察してちゃんだと批判を受ける)

言える神経がもはや謎だ。うるせえよとしか言えない。


これが独身であれば結婚についてを言われたり、はたまた恋人の有無やら持ち家の有無、介護の問題や子供の受験、職種やら学校やら、どういう立場にいても結局似た
ような思いをするのであろうと思う。

別に、何にどのような意見を持っていようと自由だが、例えば今回のように初対面であるにも関わらず、突如そういう話をされがちなのは特に飲食店をやっていると「あるある」ではないだろうか。特にお酒を扱っているとこのような思いをする場面は多い。人はお金を払うと、その金額が何の代価なのかをよく考えずに「発言権」と勘違いするものなのだ、特にお酒が入ると自分も消費者側に回るときにはくれぐれも気を付けないといけない。そのお金は領収書の但書の通りで、その場での飲食代であるということをしかと頭に入れ直して頂きつつ、店舗での飲食代というものは原価の他に様々な経費が含まれることは一般にも知られていることであるが、間違っても「3人の子供養ってすごい俺」の持論を聞くための費用はこちらも計上していないため、どうか勘違いなさるのは御免被る。


また、先日コンビニで店員に大声を出している60代位のご婦人を見かけた。外国人スタッフで、確かにモタモタとレジでの動作が遅く急いでいる身ではイライラしそうだ。余談だが許容範囲を超えたモタモタさを発揮する外国人スタッフが、コンビニや牛丼チェーンなどでこの地域には実に多いのは事実だ。日本語学校に加え、指導体制やフォローできる日本人スタッフが整っていないのに、雇用だけしているお店の数が多いのが理由といえる。
私もたまに「ちょっと、それは控えだからこっちに頂戴」とか「この金額の支払いは印紙貼って下さい」とか、きつい口調で注意することはある。あまりにも雑に接客された
上に、控えとか印紙といった必要な事柄を忘れられたりしたらそうなる。


ただ、そのご婦人はおそらく東南アジア出身と見られる青年へ、自分が吸うやつなのか知らぬがタバコの銘柄についてとうとうと説教をしながら
「なんでできないのよ!あんたなんて日本に来てる意味ないわよっムダよムダ!留学なんてしなくていい!」と言っていた。

いやいやそこまで言わなくても良いんじゃないか、と後ろから思わず声をかけようかと思ったが、私のひとつ前に並んでいたクールなサラリーマンが「すみません、お会計終わってらっしゃるんだったら次良いですか」と自らのレジ打ちをズイッと頼み、ご婦人を追いやっていたのでそれ以上の事態にはならなかった。


何か失礼をされたとかならば正々堂々と、対象の出来事を本人に伝えて然るべきだが、日本にやって来て勉強しているそのことを、言及するとはどういった了見か
どなたがご覧になっているかわからないので、控えめにご婦人と書かせて頂いたが、実際には不良のトドが陸で乾いてしまったような迫力を持つ女性で、タバコを沢山買い込みたかったらしい。手には2カートン持っている。今日中にタバコの買えない国に長期滞在しに行くのか、人に贈答しなければ人間関係にヒビが入るピンチなのかは知らぬが、1店舗でそれだけ買えたなら良いではないかと他人事としては思ってしまう。

なまじその昔、日本語教師をかじったことがあるため留学生の心の中を思うと胸が痛んだ。その後淡々と私の会計もしてくれたが彼の目は少し潤んでいた。

 

私は今、普段以上に感情が揺れ動きやすい状態であるためあまり自分でもアテにできないのだが、言葉の持つ力は本当に大きいと感じている。
人をうんと悲しませる力もあるぶん、喜びで満たす力もある。つい赴くままに発言してしまいがちなので、私も過去に人を傷つけてしまう失敗を幾度となくしてきたし、今後もしてしまうことがあるだろうと思う。ただせめて、意地の悪い気持ちで人に言葉をぶつけることだけはしないようにと意識していたい。


そう思いつつも、こうして自己満足のために文字に綴りたくブログを書いているのだから、何にせよ人間て思ったことは言葉にしたいものなのだなーとも改めて感じております。
続く。

伝えるタイミングと増えすぎる体重

一般的に、妊娠を職場などへ報告するタイミングは安定期以降といわれている。中には6、7か月まで報告を待つケースも多いと聞く。そりゃあそうであろう、万一の事態を思うと悲しい報告を多くの他人にするのは御免被るし、そもそも妊娠自体がごくプライベートなことと考えるのであれば、ある程度落ち着いてから人には伝えたいものである。


私はというと、妊娠が判明した頃から少しずつ、親しいお客様を中心に比較的早い段階でご報告させて頂いていた
いかんせん「よく泣く」がデフォルトの日々であったため精神状態が悪すぎたのと、これまで営業中には絶対座らないスタンスでやってきたのだが、座れるタイミングではキッチン奥でなるべく座るようにしていきたかったからだ。今まで座ることのなかった人間がいきなり座ると、普通にどうしたの?と不思議に思われてしまう。また風邪などによる体調不良と思われてしまう方が飲食業としてはイメージも良くない。
更に付け加えるとお店の特性上お客様からお酒を頂く機会が多いため、その都度お断りする理由をこしらえるのもかえってご心配をおかけするので早めにお伝えするようにしていた。


もちろん、内心では「あまり言いたくないな…」とも思っていた。妊娠が健やかに継続するなんて保障はどこにもないし、冒頭に触れた通りで万一の事態には、お伝えした方々の数だけ、今一度悲しい報告を改めてし直すのかと思うと本当に嫌であった。

しかし、そのように思う反面で

「けど安定期前が一番不安定で大事をとらなきゃいけないわけでしょうよ、流産の確率が一番高いっていうのに。つわりもあるし無理ができないし、見た目で妊婦と分かる時期でもない。本来なら一番言葉で伝えて然るべき時なのに。」とも思っていた。以前マタニティマークについて妊娠前の想いを吐露させて頂いたが、本来であれば見た目に妊婦と分からない時期にこそ、特に電車通勤などをせざるを得ない女性が初期の段階で使うべき物なのだな、と使用目的や使う際の心情について考えを改めた。

 

お腹が目立つようになれば、黙ってても妊婦と分かるのだ。「妊婦めチクショウ」とさんざん思っていた私ですらも、実際に嫌がらせなどはしないわけで座席を譲るくらいのことは出来る。だが実際妊娠してみると、ぱっと見では妊婦と分かり得ない初期の頃こそ、調子の悪さに参っていることが多々あった。でも、その時期に妊娠についての報告が出来ないとするなら……

 


言ってしまえば、報告のタイミングを遅らせる心理は万一の事態についての心配だけではないのかもしれない。そう言葉を借りているだけで、実際は万一の事態そのことよりも「その際の周囲への対応」についてを悩んでいるのが本質ではなかろうか。

「その際周りに気を使わせるから…」という意見をネットでは多く見たが、よくよく考えたらそんな悲しい一大事が起きたときくらい、気なんていくらでも使わせておけば良いではないか…と思ってしまうあたりが、私の人格的に何か欠如している表れなのであろう。

人並みに、私もあまり言いふらしたくない気持ちは持ちつつも「じゃあ妊娠を隠し通して働けるか?」といわれたらノーであったし、そもそもそうすることは不自然だと判断したため、その都度常連様方には自分たちの口でお伝えしてきた。それだけ、耳を傾けて下さる関係をお客様と築いてこられたことが、このお店の宝だと感じている。(妙なタイミングですがいつもありがとうございます。)

ゆえに、妊娠の経過についての心配はどこかで吹っ切っている自分がいた。
出産時には高齢出産となる年齢であり、不安が尽きないことに変わらないが、「万一の事態」が起きたなら我々の落胆もすべてをさらそうと
全員、巻き込む」というと誠に自分勝手極まりない発言で申し訳ないが、その気持ちになってからは少し心が軽くなった。巻き込まれる側はむしろ心が重くなるかもしれないが、勘弁して頂きたい。

 

情緒不安定ながらも持ち前の図々しさが功を奏し、局所的なピンチもなんとかかんとか経て胎の子は順調に育っていっている。
このような私でも、エコーの際に元気な姿を確認できると心から幸せな気持ちが沸き起こるから不思議である。いつを境に母なる感情を持つようになったのかは知らぬし、その実感はこれを書いている臨月前の今もイマイチ分からないのが本音だ。ただ、いつの間にやらこの子が元気だと聞くときが一番嬉しくて、この子の使うであろう物を考えたりするのが楽しいのだから、容赦なく絶望的な気持ちに突き落とされる瞬間があるのと同じく、これもまた自覚の届かない部分で私という者が造り変えられていっているのを感じざるを得ない。


また、未来の自分に産前の自分の心の変化を残したくこのように書き連ねている次第だが、実際に変化しているのは心だけではなく、見目にも激しく体重が増加している点を記しておこうと思う。

私の母子手帳には、初期の頃から「体重注意」と書かれていた。そして分娩先である地元の総合病院に転院してからは妊娠糖尿病の可能性を疑われ、再検査になり糖負荷試験を行ったりしていた。糖負荷試験の結果、幸い妊娠糖尿病ではないと判明し胸を撫でおろしたものの、間もなく臨月の今、なんと非妊娠時より16キロも増加しているのである。以前テレビで格闘技を観ている時、佐々木憂流迦選手より重いと知った時には思わず宙を仰いだ。

疲れやすさや腰痛がピークを迎えつつあるが、仮に妊娠していなくてもこれだけ増えたら私の骨も内臓もさぞかし辛いであろう。我が身ながら申し訳ない。それだけバクバクと食べる、猛烈な食欲に支配された私のせいだ。
人生初の60キロ台の体の重さたるや、目には見えない十二単でも着ているような錯覚を覚える

これまで「もしかして便秘してるかな?妊娠中でも飲める薬処方できますよ」と、先生に優しくお声がけ頂いたことがあるがまったくもって快便な上、「これだけ体重増えて
るけど浮腫はまったくないのよねェ…」と言われている私よ、ただシンプルにおのれの体重が増えているというこの事を胸に刻み、産後はダイエットに励むが良い。よってこの場にて宣言をするが、産後は我が身をいたわるためにもしっかりと体重を戻していこうと思う。

今に関してはもう、これ以上増やさぬ事だけを注意しつつ、いかにストレスをためずに出産を迎えるかということにシフトしていきたい。

 

変化は常に、身にも心にも。

自力でも他力でも、どうにもならないことの繰り返しが命の動きなのだなあとぼんやり思う。(いや、体重の件はもうちょいどうにかなったかと思われます。)

 

続く。

安定期はいずこ

16週を過ぎると、初期流産の確率をひと山越えるそうで若干ながら安心をする。ざっくりと胎盤が完成し、一般的にもこの頃から周囲に報告したりする人も増える妊娠5か月目。妊娠中期の始まりである。

つわりが治まり始め、全期間を通じて最ものびのびと過ごせるであろう安定期の到来に、私も多分に漏れず胃のムカムカが落ち着き始めたので「ほうほう、これでだいぶ心身が楽になっていくんだな」と嬉しく思っていた。おかげで食欲が凄まじい勢いで加速し、現在でも注意されている程体重の増加が始まった。甘い物も欲するようになった。
これまでの半生で、こんなにも食欲があることが初めてで我ながら面白く感じていた。

だが同時に、6月末にお店の周年が近づいているのを日々考えていた。飲食店にとって周年とは一大イベントだ。あえて正直な言い方をすると「稼ぐ日」である。

周年自体はとても有難い出来事なのだが、今年に関しては店舗と自宅をダブルで更新するという更なる一大イベントも附随していた。
大体のケースにおいて、飲食店であれば店舗の更新は3年に1度。だがうちは2年に1度なのである。一大イベントどころの騒ぎではない、大惨事だ。


気が遠くなる額の支払いを控え、安定期に入ったというのに今からつわりが始まるのかというような胃のストレス。普段であれば「さあさあ周年に向けて稼がねば!」とはりきるところだが、そうは振り切れない。
「深夜にかけて」「酒場で」働くことについて、妊婦としてどうなんだという懸念がじわじわと湧いてくるようになった。

産院での指導はじめ、た〇ごクラブなどの雑誌でも「帰宅は深夜1時、晩御飯は1時半、就寝3時」という妊婦のモデルケースはあまり見かけない。病院勤務等で夜勤をしている妊婦さんの話だけが、当時は心の拠り所であった。

とはいえ当時の具体的な悩みである「マスクがしたくてもできない貴女必見!ワインの香りを嗅ぐときに気持ち悪さを劇的に抑えるおススメの方法★」ゴルゴンゾーラやエポワスにはもう負けない!チーズの匂いに顔を歪ませずにカットする5つの法則」などはどれだけ検索魔になってもどこにも載っているはずもなく、苦手な匂いを嗅ぐ際はひたすら「全神経をおでこの上に集中させ、視点は何にも合わせない」という心をその場から飛ばすようなイメージで業務を遂行していた。

結局のところ、せめて0時には家に着きたいと思いながらも今振り返ってみてもそのような日は少なかったと思う。お腹へいつも、ごめんよと思っていた

だが、おかみとしての自分は一杯でも売りたい。1円でも多く欲しい。
「もっと早寝しないとダメだ」「夕飯は深夜に食べちゃ良くない」「誰か雇ったら」「先に帰りなよ」などなど、有難いことに気にかけて下さる方々が親切心で言って下さるのが分かるのだが、あらゆるアドバイスはどんどん私を追い詰めた。十二分に分かっているし私だってそのようにしたいのに。現実問題できなくて、それが辛くて悩んでるのに。なんで追い打ちを
かけてくるの?!という気持ちでいっぱいであった。通常時ではそうは思わないのだが。
頭では、誰もが良かれと思って言ってくれるのが分かっている。意地悪で言われているのではないし皆さまの事が好きだ。お客様に気にかけて頂けるなんて、店の者として幸せなことである。
でも、お客様だからこそすべての言葉から逃げようがなかった。それがずいぶんお酒の入った上での言葉であっても、お金を頂戴している以上聞かないという選択肢は持たされていない。

私に限った話ではなく、世の妊婦さんは各々の環境にて皆似た思いをしているのだろう。
お腹の赤ちゃんのためにしてあげたいことはいくらでもあるのだ。したいのに出来ない事情があるのだ。

店を頑張ろうと思うと結果罪悪感が生じる。して頂いた親切には自分の想いを踏みにじられたような気持に陥る。かといって妊婦である自分を最優先したなら目の前の一杯が
取れない。それは生活が出来なくなることに繋がる。余裕のなさに焦る。毎日、起きるのが嫌であった。今日は何をどれだけ耐えなくちゃいけないんだろう、と思う。そうして迎えた2度目の周年にて、私の精神は限界に達した。


周年当日はライブイベントを行っていた。常連様が多数お集まり下さり、演者も長年の友、お手伝いのバイトも頼んだ。お祝い花も多々頂戴し、見た目にも賑やかでお店としては非常に光栄な光景であった。

2階と行き来しての疲労のせいもあると思うが、気付くと自分の目から涙がこぼれていた。
その瞬間、全員お顔を知るお客様であったにも関わらず、見知らぬ他人に見え、話し声の全てが騒音に聞こえ始めた。

心臓がバクバクして店から出た。裏路地へ入ってしゃがみ込んで泣いた。もう嫌だ、全員嫌だ、一人になりたい、何も考えたくない、誰かに甘えたい、いや誰にも会いたくない、しゃべりたくない、シンとした静かなところに行きたい、耳が疲れる、早く帰りたい、でも売らなきゃ、ああ売りたくない、ワインなんて見たくもない、


しばらく外で泣いてライブが終わるのを待ち、終演後皆さまが1階に移動なさった後に大急ぎで階段を駆け上り、一人で2階に横になった。声が我慢できないくらい、酷い嗚咽と共に泣いた。自分でも泣き疲れるのに、泣くのが止まらない。

「今、私安定期なんじゃなかったっけ…?」

店の周年という1年で最も嬉しいはずの日にダメだったことで、ある意味踏ん切りがついたといえる。この日にダメな自分に失望すると同時に、それだけ自分が変化させられているのだというのがよく分かった。それから数か月、毎日必ず泣いた。泣くのがデフォルトになったので、自分の涙に驚かなくなった。人前に立つことが苦しく、嫌だ嫌だ行きたくない!と声を上げながら身支度をする。泣きながらなので化粧の進みは遅く、化粧後にも泣くので毎日変な顔であったがそれで良いことにした。

妊娠時のホルモンの変化は、数滴で25mプールの水質を変える程と読んだことがある。
私は心を整理することを諦めた。無理に楽しむことを諦めた。心のどこかで、もっと幸せそうなマタニティライフを送らねばという意識もあったと思う。
これはあくまで私のケースだ。妊婦さんによって悩む症状はバラバラである。

ただ言えるのは、精神論や心意気では片付かない、もっともっと大きな力によってこてんぱんにされるのがホルモンの力というやつなのであろう。

「これを、経ろ」ということだったのだなと今は思う。続く。

 

 営業中はマスクできなかったけど、マスクできるときにはアロマオイルには助けられました…( ;∀;)

 

妬みの変化とマタニティブルー

予測変換、というのは恐ろしい。


妊娠が確定し、私はふと「そういえばマタニティマークってどこで貰えるんだろう、どこかで買うのかな?」と疑問に思った。病院で配っているわけでもなさそうだし、雑貨屋などで販売しているのを見たためしもない。


なので検索してみることにした。何気なくスマホマタニティマーク、と打ち、スペースをとったところで驚愕する。

 

ここ最近でバックル外し、などの物騒な事件が発生している中で、私という人物の汚い性根をさらすこのようなことを申し上げるのは避けるべきかもしれないが…
不快な方もおられると思うので先に謝罪させていただきたい。もしくは読み進めるのをお止め頂ければと思う。


私の検索画面には「マタニティマーク」「死ね」と続いたのである。ネットの検索上位ワードではなく、あくまで個人の私のスマホの予測変換だ。


ああ、そうだった。あのマークを見るのに虫唾が走っていたのだった。表面上、電車の中などで遭遇すれば席も譲るし親切を働きもしてきた。だけど、

疲れた深夜に夫も先に就寝し一人で深酒をあおる時、私はそのようによく検索したのが事実であった。死ね、と。つい最近も、そうしていたことを思い出した。


確か、ほんの一カ月程前のその日はお客様のご懐妊の話にその場では笑顔でおめでとうございます!とお祝いの言葉を申し上げつつ、業務的にたまたまワインの事で振り回された日で、営業が遅くなりだいぶ酒も入ってしまった日であった。お腹を愛おしそうに撫でるその女性のお姿を拝見しながら、我が身を思うと毎日酒酒酒酒酒、他に自分の人生には何もないのか?とそれまでに幾度となく繰り返してきた虚無感に襲われたのだ。ドロドロと熱い怒りにも似た感情がまるで内臓を焼くかのように煮えてくる感覚を持て余し、家に持ち帰っても消化できなかったので久しぶりにそのドロドロが私を支配するに任せた。

 

つい最近のことなのに。
それを失念した上、無邪気に「どこで貰えるんだろう?」なんて思った自分に一気に冷めた。自分の調子の良さが気持ち悪いなとも思った。

 

長い間、妊婦の姿など視界に入れたくなかったものである。
よく、人の幸せを妬むなと言われるが私は妬むし、妬んできた。
なぜなら妬むまいとしても妬ましいからだ。妬みたくて妬むわけではない。それを努力が足りないとか子供っぽいとか人間としてダメだとか言われたとしても、知ったことではない。
人に測られることは何も怖くない。自分が自分を否定することだけが怖い。人を妬むつまらない自分は私も大嫌いだが、そんな自分を自分の他に誰が受け入れてくれよう。

 

そう思いながらふと、人を羨み妬んできた自分を受け入れているわりに、無邪気にこの妊娠を喜ぶことを自分に許していないのだな、ということにも気が付いた。そしてそれが、過去の自分の思考の癖によるものだと理解したとき、これが妬みのもたらす一つの結果なのだなと腑に落ちた。


この時期というのはいわゆる妊娠三か月、週数でいうと12週くらいであろうか。安定期まではまだしばらくかかる。
私は嘔吐恐怖症のためつわりによる吐き気を大変恐れていたが、幸いにも結果としてこれまで嘔吐には至っていない。(出産がこれからであるので、出産時の嘔吐がまだ心配ではあるが…)


とはいえ匂いに敏感になっていくのを感じていた。また何となく胃がムカムカしたり、空腹を感じても何も食べたい物がなかったり、食べたいタイミングがあまりにも瞬間的過ぎてタイミングを逃し、食べられなくなってしまうことはよくあった。そしてこう言うとナチュラリストのようで嫌なのだが、この時期の私はとにかく添加物の味がダメになり、それまでさんざん食べてきた大手チェーンの中華屋さんやコンビニ弁当、カップ麺などが気持ち悪く感じた。また大好物の生魚や酢飯の匂いもダメで、お寿司屋さんの前を通ることは苦痛と化した。コーヒーの匂いも嫌だったので、近年当たり前になったコンビニでのコーヒー販売により、コンビニそのものが苦手スポットとなった。

 

ちなみにその頃からアルコールの匂いがとにかく臭く感じるようになったため、店にいるとだんだん気が滅入るようになった。ワインの抜栓時というのはコルクを必ず確認するわけだが、その一瞬が辛い。グラスにそそぐ際に立ち上る香りも、ワインに限らずビール等の他のお酒の匂いも、臭い。「臭いけどなんとか我慢が可能」だったのが1、2週間のうちに
「マジで勘弁してください」レベルに辛くなってきた。

 

同時にニンニクに火が通る匂いと、ラム肉がローストされる匂い、そしてこの商売をしていながら申し上げるのが非常に忍びないのだが「酒を飲んだ人間の匂い」が猛烈に耐えがたくなりつつあった。なんと説明すればよいのか分かりかねるのだが、皮膚の毛穴から湧いてくるとでもいうべきか。そしてそうなるとその人その人の体臭がはっきり反映された匂いとなる。どんなに身ぎれいにされている若い女性であっても、アルコールが入った時点でその匂いは誰しもに生じる。
ニンニクとラムについては、そのオーダーがあるときのみ発生する匂いであるためまだ良い。無理な時は店の外に逃げられたからだ。
ただ「酒の匂い」「酒を飲んだ人間の匂い」というまったき別物でありながら必ずセットで常時店内に存在する、私の嗅覚を苦しめる2トップには長期的に泣かされた。


それは先述の「この商売をしているのに」というおのれの立場を自覚すればするほど、自分を追い詰めていく事柄であり、一般的に16週目からを指す妊婦としての安定期にも、心から安定を奪うきっかけでもあった。
今現在もまだ完全に晴れることのない、「酒を提供する店を自営ですること」と「母になること」との距離感における霧のようなものが、敏感になる嗅覚と共に立ち込め始めていく。私はこの先、やっていけるのであろうか?酒を出す店のおかみとしてすべきことと、妊婦としてすべきことのギャップが埋まらない。また体調面でも、深夜にかけて働くことが怖く感じる。この頃から私は俗にいうマタニティブルー、が爆発することとなる。

ちなみにマタニティマークは役所へ妊娠届を提出した際に健診補助券と一緒に頂戴致しました。あとJRの駅。続く。

 

 

産院選びと、初めての気持ちと

さて、市販の検査薬で陽性反応が出た以上、なににせよ産婦人科に行かねばなるまい。

今の住所にやってきてから内科や皮膚科、心療内科や歯科は調べたりお世話になったりしたが、産婦人科には用事もないと思っていたため気にしたこともなかった。
近場を検索すると案外その軒数は少なかった。

「何となく、最初は個人の病院が良いなあ…」

陽性反応を嬉しく思う反面、子宮外妊娠の恐れやすぐに流れてしまうのではないかという不安が強かったのである。
年齢的な部分以上に、人の何倍も不健康な暮らしをしている我が身を思うと本当に妊娠しているのか疑わしくて仕方ない。
というより自分なんぞが本当に赤ちゃんを授かっているのであろうか。誠であれば嬉しいが、嘘ではなかろうか。望んでいたにもかかわらず、身の上に起きたということが信じられないのである
陽性反応、もとい使用済みの検査薬は念のため夫にも確認してもらったものの、実は夫婦そろって見間違いをしていて産婦人科よりもそろって眼科に行け、とでも言われやしないだろうか。

今振り返って思う。この先妊娠期間全般に至るまで私を悩ませる、超破壊的な「情緒不安定」が既にスタートされつつあった。

胎嚢、心拍などをちゃんと確認できるのかも分からない中、もやもやと複雑な思いが渦巻く胸で大きな病院にいきなりかかるのは、何だかライフスタイルを叱られそうで気が引けていた。子供の頃に病気をした関係で大学病院に入院したり、退院後もしばらく通院したため大きな病院の空気感が嫌なのもあった。もちろん今後の経過によっては大きな病院に通わざるを得ないケースもあるだろうが、まずは妊娠の確定についての診察を求めているのだ。

また探していた範囲内には気合の入った最新のレディースクリニック的なところも数軒あったが、そのようなクリニックは比較的都心にありオシャレさも醸し出していた。
ネイルやマツエクのびしばしキマった「私、稼いで自己管理バリバリなの」もしくは
「ママになっても女子は女子」的女性の通うような場所ではなかろうかという先入観が先走り、自分が行くにはそぐわない気がした。そもそも大体の確率で、そういうところの院長自身が、びしばしマツエクのキマっている女医の可能性が高い。

産婦人科という科の特性上、同性の医者を望む人は多いようだが、私はそこについてはどちらでも良いと考えていた。望むのは、オッサン先生でも美人女医でも何でも良いから、穏やかさである。こちとらこの目で見たものすら嘘か誠か分からない状況に陥っているのだ。どうか穏やかなところで診療を受けたい
補足するとすれば、どうやら私はマツエクがびしばししている場合には例え同性であろうと穏やかさを感じない、ということなのであろう。


更にいえば自宅からある程度近くないと困るが、店と近すぎるのも嫌だというわがままな望みもありずいぶん悩んだ。


ここにしよう、と決めた先は自宅からタクシーで15分くらいの小さな産院であった。
お世辞にも綺麗とか最先端という言葉は似つかわしくない、私にとってはお望み通りの産院といえる。古い古い建物で、これだ、ここぞ、という感じだ。お世話になっておいて誠に失礼な発言だが、何も知らずにその前を通りかかったら廃院かと思う。

口コミなどを拝読した限り、院長先生であるオッサンがだいぶ個性的らしい。
「感じは特に良くないし、ぜったい奥で犬飼ってるし、院長タバコ吸ってる」などとの書き込みもあった。
ただ、読んでいるとエピソードの多い院長であることが伺えた。
無事に出産に至った方以外にも、残念なことに流産の処置をすることとなった方の書き込みで「一緒に落ち込んでくれた」とあったり、急きょ総合病院へ搬送になってしまった産婦さんの書き込みでは「深夜一緒にタクシーに乗り込んでくれた」とあったり、産後の入院中「院長自ら食事を運んでくれるときもあった」などなど小さな産院だからこその事情が垣間見えるものの、人間味のある産院なのであろうと感じたのでそこにお願いすることにしたのである。


店の定休日が火曜であるため、さっそく次の火曜に行ってみた。初めて産院にかかるその日は、小雨が降っていた。

受付をしてもらいながら、ふと診察室にかかった医師名の札を見ると、噂の院長ではないではないか…!

おいおいちょっと待ってくれよ、と内心オロオロしつつ待合室に貼られたあらゆる張り紙を読んでいると、この春から火曜だけ別の女医さんが担当しますという旨が書かれていた。

 

「……。」

致し方ない。どのみち私は火曜にしか通えないのだ。
採尿をし、順番がきて中へ案内される。たいして待たなかったのは有り難かった。


中に入ると、とても淡々とした40代とおぼしき女医さんがいらっしゃった。マツエクがびしばしはしておられなかった。結論から言うとこの後長くお世話になる先生だ。

既に市販の検査薬で陽性反応が出たことを告げ、血圧などを測られつつ最終月経日について質問された。

これがまったく分からない。
数年前は手帳に真面目に生理や体温を記録したりしたが、店を始めてからというもの自分の手帳には発注したワインだの、業者の支払いがどうだのの事しか記録されていない。
ただこれだけ不規則な生活でありながら生理は比較的規則正しかったので、確証はないもののおおよそ「これくらいの時期?」という日付を女医さんと設定し、エコーに入った。


あれよあれよという間に、私の子宮の中とやらが映し出される。先生の操作するエコーの様子を黙って眺める。


「ちゃんと子宮の中に妊娠してますよ。これが胎嚢です、もう心拍も確認できますね。しっかり動いてる」

そう言って画面上の小さな袋のようなものを指して先生は話し始めた。そして

おめでとうございます、

と言われた。

 

 

そうかあ、と、初めてのような懐かしいような感情が広がっていく感覚を覚えた。水面の波紋のようにゆっくり広がっていく。そしてそれはつい先ほどまで細かく数え上げていた不安をすべてさらっていってしまうような力強さを備え、にも関わらず決して荒々しさのない不思議な波であった。

同席していた夫いわく、その時私は涙目で笑っていたそうだ。初めて味わう気持ちであった。続く。

妊娠の判明

妊娠の判明

早いもので妊娠が判明してから34週が過ぎ、間もなく臨月に突入する。あっという間の気がするものの、おそらくそれは店のあれこれについてがあっという間に感じるのであって、胎児との週数を重ねるにあたっては一日一日をやっとで経ていくような感覚であった。
特に安定期前の初期は長く感じた。

私の場合はゴールデンウイーク明けのある朝に市販の検査薬にて判明した。
その頃の私というのは精神的に凄まじく荒れており、何をしてもイライラし、また非常に疲れやすいなあ、と感じていた。ふと気を緩めると口をつく言葉は

「だるい、眠い、むかつく」であった。


そして酒が飲めなくなっていた。まずいし、入っていかない。帰宅後だいたい2缶はチューハイを飲む生活だったが、ちっとも飲みたくないのである。
また、営業中にお客様がご注文下さった良いワインのご同伴に預かる機会があってもまったく美味しいと思えなくなっていた。個人的に大好物の銘柄や、手前どもの財布ではそうそう飲めない価格帯の銘柄さえも、「まず!」と思ったのである。

その時にはもう「これはいよいよおかしい、絶対胃腸か肝臓がやられた」と思い内科にかかろうと考えていた。


頭の片隅に、もしかして?という想いもあったので買い置きの検査薬の存在も思い出したが、これまで何度その期待の分だけ涙を流したか思うとすぐには使う気になれなかった。
一度や二度の話ではない。結婚してから7年分の落胆がそこにはあり、そして2年半前に夫婦で開業することを通じて私はその夢は捨てると決めたのだ。

言わずもがな、夢とはずばり子を持つことであり、また、それがもし早々に叶っていたなら私は開業は考えなかったと思われる。考えない、というより考えられなかったのではないかと思う。

その夢は叶う気配がなかったため、神奈川にいる頃に自分の人生について死に際を考えるようになった。死に際、というとなんだか物騒な話に聞こえるかもしれないが。

 

死ぬ前に振り返ったとき、面白い人生であるかどうか。

神奈川にいる頃から、子供を持つ人生に固執するのはやめようと思ってはいた。いないなら、いないの人生を歩みたい。

「欲しいけどできない」状態の気持ちが嫌だった。自分がどんどん暗くなるのが分かる。よく言う話で、人の妊娠出産を喜べないため出先でうっかりトイ〇らスにも入れない。赤ちゃんを見かけても、可愛いよりも先に羨ましさが募り、その親を見ては自分が優劣をつけられたような被害妄想に陥り、愛する夫や日々の糧に恵まれているにも関わらずそれらへの感謝は失せていく。
そういう自分自身が嫌いだし、面倒くさかった。振り切りたかった。こんな気持ちを抱えながらの人生では、死に際はさぞパッとしないだろう。

そもそも、いつか都内に帰るときには飲食に戻ることと独立するために帰ると決めて神奈川に来たのだ。

それは現実的に考えて大変難しい話だからこそ、子供がいたら選択として厳しいであろう。でも、子供はいないのだ。ならば遠慮なく選択しよう、と思った。

大体にして、いわゆる不妊治療に投じなかった私たち。そのことについてはまた角度の異なる話になるので割愛させていただく。

そして自営業になると同時に、東京へ戻ってきて今に至る。お店をやるというのは、月並みな言葉だが想像以上に大変でとても子を持つだのの余裕はないと感じていた。当たり前だが「営業時間=仕事の時間」ではない。
例えるなら「営業時間」は「狩り」であり、「営業時間以外の時間」は「弾を込める、銃を手入れする」そして「狩場を作り狩場に行くための時間」だ。寝ること、休むことや遊ぶことも、「狩場を作るため」といえる。端的にいってこの生活になってからは子供を望む夢が入りこめる隙はないといっても過言ではなかったが、自分の年齢と現実の生活を思うとどうしても脳裏をかすめるのも事実であった。

お店のことと妊娠のことを共に考えることができなかったのだ。ゆえに、その夢は体裁として殺したものの私の心の奥の奥では生きているのはうっすらと、かつ確かに、感じているのであった。


その日の瞬間を私は忘れないであろう。

検査薬はマツ〇ヨでプライベートブランドの安価なものを購入していたのだが、
「ケチって安いやつにしたから間違っているのではないか?」とすら思って判定結果の覗き窓を見つめていた。
かれこれ10分ほど、ケツ丸出しのまま便器に座り、検査薬を握りしめていた。どこからどう見ても、反応の出る窓には陽性を示す縦線がくっきりと表れている。

 

過去に「線よ出ろ出ろ出ろ出ろ」と祈りどころかもはや呪いのごとく強く握りしめて窓を眺めても一度も表れたことのない縦線。
「これ、角度によってはうすーく線出てるんじゃないか?」などと往生際悪く斜めに持って眺めてみたり、「あと小一時間くらい待てば反応が出るかもしれない」と、冷静に考えれば我が尿のかかった清潔とはとても言えないプラスチック製の棒をしばらくとっておいたり、この窓枠にはどれだけ熱い思いで眼差しを向けてきたことであろうか。

それがこの日は、尿をかけたわずか1コンマくらいの勢いにて縦線がくっきりと表れたのであった。

 

陽性、おお、陽性…!!な、なんでだ!?

 

なんでも何も「精子卵子が受精して細胞分裂を繰り返し着床したから」なのだが、単刀直入に申し上げてとにかく最初の感想は「ビックリした」のである。

 

同時に、飲酒喫煙不規則な日々のストレスフルな生活を思い、不安が一気に押し寄せた。
妊娠前からしっかりと母体を整えている女性の子宮環境をフカフカの毛布と例えるならば、大酒飲みの私の中は劣悪な馬小屋の藁、くらいであろう。近々で薬も飲んでいた。

仮に子宮外での妊娠であったとしても陽性反応は出るため、あまり喜ばないようにしようとする意識が強く働き始める。


35歳、生活も不安定な自営飲食店。
とりあえず産婦人科に行ってみるにあたり、近隣の病院を調べ始めた。続く。