37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

オナラ

その生涯において、伴侶にすらスッピンを見せずに添い遂げた祖母については以前チラリと触れた。祖母は加えて、「服を着たところと裸は見せるけど、着替えているところだけは夫に見せない。不格好でしょ」という意識まで持っており、巷に溢れかえる女子力だのの遥か上をぶっ飛ばした「女とは」的な持論をかなり暑苦しく抱いて生きていたわけだが、そんな話をさんざん聞かされて育ってきたにもかかわらず、私の今回のテーマは掲題の通りである。オナラだ。

 

まずハッキリと申し上げたい。私はオナラが我慢できない。

①我慢をしてお腹が張ったり痛くなってくるあの感じ、また

②一瞬耐えてはみたものの例えば目の前で友達がなにか面白いことを言ったりなどし笑いそうになる際、耐えられたはずの波が勢いを増して再びやってくるあの感じ、更にはこれまた以前書かせて頂いた

「ここで笑うわけにはいかない」というような場面でダブルでもよおしてしまった際の「笑いの他にケツまで気合を入れなければならない」あの感じ、が耐えられないのだ。

 

③に挙げた場面においては、笑うことを耐えなければ人格を疑われかねない時もあるため、全神経を神妙な表情作りに注ぐ必要もあり、ケツへの余力を失われているケースが多い(ex/葬儀中)。このケースは外的要因による我慢の不可、であるので、パターン①の内的要因(要はおのれの腹具合のみ)とは背景が異なる。

②も友達という一見③に通ずる外的要因では?とお思いの方もいらっしゃるかもしれいないが、よく熟考して頂く必要がある。あくまで②はいったん我慢してしまったからこその「自分が生み出した波」であり、実は友達のせいではなく、それは内的要因の範囲を超えない。③のみが、「ケツよりも優先すべき特別事項がある」差し迫った状況につき、ケツに注ぐべき余力を失っている緊急事態なのである。

 

細かに分類をしたのは、おそらくほとんどの人が「①②は我慢できるけど③は仕方ないわね」とか「私は③でも耐え抜いてみせる」とか、はたまた「①も我慢できる自信がないよ」と、自らに許せるオナラの理由が各々で異なるであろう、と考えたからだ。冒頭で触れた祖母などは、完全に「③でも耐え抜く」であろうし、思えば母も私の前でオナラをしたところは見たことがないが、私はどれにあたるかといえば以下である。

「いかなる場合においても」「私という人格が」「我慢をしない」。

 

ーー我慢をしない。それは生き方の指標やビジネスや恋愛など、あらゆる分野で真面目に語られそうな文言ではあるが、繰り返すように掲題の通りで、オナラだ。私はオナラを我慢しない、と決めて今に至る。

 

かつては人並みに我慢をする思考回路で生きていた。だが、パン屋でアルバイトをしていた学生の頃のこと、食パンをスライサーにかけていたときに私はオナラをもよおした。当然まだレディなつもりの私は我慢をしようと意識が働き、手元が鈍った。私の親指は3ミリスライスされ、即刻病院へ、縫われるハメになった。

 

激痛の中で、私は心から悔やんでいた。オナラなんか、しときゃぁ良かったのだと。しばらくバイトも出られず収入は減るし、まだ若いんだからオナラごときアラごめんなさいで済んだ話で、誰に詰問されることもなかったのだ。大体、音も出なかったかもしれない。利き手だったのでペンも持てず学業にまで支障をきたし、踏んだり蹴ったりであった。

 

そして私は、我慢をしない、と決めたのである。これは上記③ケースはもとより、現実では更に複雑化した状況の例がある中で、「我慢しない」を完遂するためにはある条件を要する。そう、それはあの鈍い音をサイレント化する、訓練したケツであるということだ。

 

世の中あらゆる資格があるように、オナラを我慢せずにするというならするための資格といえるだろう。私は意識して音のサイレント化を自らに課すようになっていった。何事も積み重ねである。次第にあえて音を出す方法や小出しにする方法も習得した。それからの私は自在にオナラをし、してもバレずにその場を過ごし、余裕のある生き方をしてきた。だが、暗転するのである。いつからかハードが古くなった、といえば伝わるであろうか。

 

技をアップデートしても身が対応できないのである。訓練が、効かない。文字通りのゆるみというやつだ。その事を痛感したのは、今では夫である彼と、交際することになったかならないかくらいのまさにトキメキの頃で、20代後半の私である。

 

その日、初めて夫の家に遊びに行った。少し緊張もしながらまだ猫をかぶり気味に、酒を飲みながらウフフとお喋りをしている最中である。私のケツは、資格を剥奪された。大きな音で、やらかしたのだ。

 

「この恋これにて終了」という思いが駆け巡ったが、資格を失った私をも受け入れてくれた彼により、お陰様で結婚するに至っている。だが私はまた派手にやらかすのである。入籍後、夫の地元へ帰省した際に夫の友人達が人前式のような結婚パーティーを開いて下さった。余談だが野郎だけが何十人と集うその会は、イカツいとしか言えぬ雰囲気であった。

 

とはいえそれなりに粧し込み、新婚間もない我々は非常にラブラブな雰囲気で夫実家へ帰宅した。夫は3人兄弟のため、弟や今は亡き夫の祖母が居間におり、帰宅後も改めて飲んでいた時のことである。

 

そこでやらかしたのだ。百歩譲って、夫はまだ免疫がある。だが弟達は、当時まだ数回しか顔を合わせていない関係だ。資格の剥奪どころか永久失効が決定された瞬間であった。

 

あの瞬間の皆の顔が忘れられない。漫画のように目を真ん丸にしていた。当たり前だ。つい先程まで新婦として祝われていた女が、長兄の嫁になったばかりの女が、普通はどう考えてもする事ではない。

 

あれから約8年が過ぎ、2019年に娘に恵まれた。

娘に恵まれたあの日。

先述のケース③は、外的要因の合わさった危機迫るものであるに違いない。が、その危機なんぞ、せいぜい天下一武道会のようなまだヤムチャがちょろちょろ存在出来るくらいのレベルであったと思い知らされることとなる。分娩という異次元の世界は、亀仙人の修行では到底通用しない世界であったのだ。

 

いざ分娩時のケツの激しさというのは、天津飯だのが相手ではないのである。魔人ブウだ。しかもシュッとしてる方のブウだヤムチャなんて存在する隙すらない。現にブルマも忘れてベジータと結婚しているではないか。明言は控えるが、分娩時の私は自我を超えるケツの激しさに理性も心も何もかも、全てを支配されたとだけ記しておく。

 

私は、改めて言おう。我慢を、しない。もう訓練したケツも持たない無資格者である。

無資格者が我慢をしない、それがどういうことか。

 

品性を失い、あるのはケツの衝動のみということだ部屋の乱れは心の乱れとか、そんな話はあまちゃんだ。ゆるんでいるのだ。財布や気を引き締めてもケツは引き締まらない、そういうことだ。

 

せめて出来る事は何か。

オナラをしてしまったら謝る。素直に謝ることだ。それだけは失ってはならない

 

祖母のように「女とは」なんて到底語れぬ。だが一度は自在に操れるまでに訓練をし、失墜したからこそ語れることもある。

 

あの頃の私よ、どんなに痛い目見ても決して我慢しないなんて決意をするんじゃない。恥じらいを捨てたからこんなに下品な話をお客様もご覧になっているにもかかわらず、垂れ流す羽目になるのだ。そんなバカな事言ってるから良い年こいた今もバカなのだ。

自粛の解除へ向けて世の中が動いておりますが、改めて気を引き締めると共に、皆様にはケツの方も忘れずに引き締めて頂きたいと切に思っております。

 

 

 

 

 

 

ミジンコほどのキャパシティー

私は心が汚く陰気くさい余裕のない人間なので、わりとすぐ相手にムカつく。そのスピードたるや電光石火。何らかの琴線に触れたときなんぞ、我ながら引くくらい怒る。徹底的にその相手を心の中で罵りまくり闇に葬る。

ただ、心の汚い人間だからこそ、人のことをそもそも「良いもの」と捉えていないのでいちいち相手に幻滅することはそうない。幻滅するほど、人というものにハナから期待していない。人は信じる対象ではない。愛するものだ。

 

まあそんな事は今回どうでもよいのだが、ここ最近で私が怒り狂ったシリーズ、が、振り返ると非常にしょうもないのでご紹介したいと思う。「ネガティブな言葉を見聞きするのは運気が下がるのよネ」などとお考えの方々は是非回れ右をお願いすると共に、そういうあなた方は一生他人の手、他人の言葉、他人の考えでつくられたスピリチュアルの籠の中に入って運気を気にしていればいいんじゃないかな!

 

相も変わらずヤミーがデフォルトなので口が悪くてごめんなさいね。脱線しました。

 

いやはや。レジ袋が有料になって久しいですが、けっこうアレ、家の中で使うじゃないですか。我が家だと猫トイレを掃除するときとか欠かせないブツです。なのであんまり躍起になって環境環境節約節約うっさいエコバッグ女みたいにならないように気を付けてるんですが、そんなある日某100円ショップで買い物をしまして。ええ、店名は伏せさせて頂きますがセから始まる茶色っぽいところで。

 

その日は私、タイルにくっつける吸盤型のフックを探してたんです。キッチンですでに使ってるやつがあって、それの強度が良くて、数を増やしたかった。一個あたり2.5㌔だかの重さに耐える代物で、フライパンとか安心してかけられて「こりゃあ良い!」と。吸盤が良いのは、キッチンの壁って拭き掃除するでしょ、そのときに取り外せるのも衛生的で良いなと思い。

で、フックの売り場を見てたのだが吸盤のがない。近くにいた店員さんに聞いたら「最近はフィルム型が主流ですよ」と言われた。

 

※私は「吸盤型のフックはありますか?」と質問致しました。

 

あるかないかについての質問です。いわゆるイエスorノーの内容です。

「最近は」という主語の語る先についてはまったくかすってもいない質問内容です。

瞬時にアッ、やべキレそう、と思ったので今一度同じ質問をした。言い回しとトーンをもっと穏やかなものへ変更して「えっと、吸盤型のものは今、店頭にないですか?」と。

 

店員さんは同じことを返答なさいました。最近はフィルム型が主流です。

 

ムカついたのでその主流とやらのフィルム型フックをおもむろに買い物カゴに二個ぶっこんだ。その横で店員さんは満足げに「繰り返し使えますし」などとパッケージに書いてあるままのことを言ってきた。それは便利ですねなどと調子を合わせた自分に聖女の片鱗を感じつつ、他にも入り用の品々があったのでそれらを探して、レジに並んだ。

 

ほんの5分くらいであるが順番を待っていると、いざ私の番になったらそれまでのレジの人から、つい先ほどの最新フックウーマンにレジ担当が変わるではないか。嫌な予感しかしない。

とはいえ100円ショップで会計をするだけのことである。代金を払うやりとりしか生じないのだから嫌なこともそうそう起こり得ないであろう。

 

「レジ袋はどういたしますか?」

 

ここで、先述の話になる。そうだ、今は会計の他にこの流れが1クッションあるのだった。

私はS、M、Lと3種類の大きさが展開されている旨の案内表示を見たが、セの付くこちらで買い物する機会はめったにないため、どれくらいの大きさなのかな…と頭の中で考えていた。

「お願いします」と答えると「サイズはいかがなさいますか?」と聞かれる。そうか、やはりサイズも聞いてくるか。分からないので「これらが入る大きさでお願いします」とにこやかに言った。

 

今考えると、私のこの言い方が嫌味に感じたのかもしれない。が、一応私は産後特に気を付けていることとして、上っ面だけはなるべくよく買い物をしていたので、特に感じ悪くは言ってはないと思うのだが…どうだろう…

 

店員さんは、「一番大きいサイズが確実に入ります」と大きい袋を品物に付け、私へ渡した。会計済のカゴに入った買い物した商品を、付けてもらった袋にいれようと袋を開くとそれは10㌔の米が入るであろう大きさであった。

 

なめとんのかフック女

 

書いてきた通り、私の買った物はこの女の話す新たな主語、「最近は」に促されたフックいくつかと、その他は画鋲やストローなどのこまごまとしたものである。

私はクッションでも買ったか?私の目が腐っていて、私にだけ見えていない米袋でもカゴに入っているのか??私のあともしばらくレジは列をなしていたので、何か言いにいくわけにもいかず、また、仮に言いに行こうにも何を言えばよいのかも分からない行き場を失った怒りで頭の中がプルプルするのを感じた。脳みそが震えるような感覚だ。

 

ああ、こんな時に人は嫌がらせというものを思いつくのである。今すぐこのフック女のポケットというポケットをダンゴムシでいっぱいにし、鼻と口にはわさびをとくと塗り、髪の毛には生卵か炊き立ての米を絡ませ、付けているマスクの中にくさやを入れてやりたい。袋代の数円の差などはどうでも良いのである。お前は私が分からないこと、「この店に吸盤型のフックがあるのかないのか」を最後まで答えず、「適切なサイズが分からず袋の大きさをお任せした信頼」を裏切った。人は信じるものではない。今すぐくさや責めするものである。

 

袋くらい自分で選ばないのが悪いとかいう正論は聞きませんわい

 

P.S  フィルム型フック、繰り返し使えるどころかうちの壁には付かなくてその日のうちに捨てた!

正しさが鬱陶しい

確認してみたところ、最後にブログを更新してから10か月近く経過していた。我ながら見事な放置ぶりだ。

 

この期間どうしていたかといえば、めちゃめちゃ忙しかった。夏に第二子の妊娠が判明し、その前年に娘を身ごもった際に体験したひととおりの妊婦期間というものをアゲイン。

グロッキーになっては肥え、抑うつな自分に滅入り、マタニティならではの通常の10分の1以下の体調で目の前の初めての育児に向き合うことで精いっぱいであった。こんなに精いっぱいだなあ、と毎日に全力が搾りとられるような日々というのは初めてのように思う。

 

この年齢での続けての妊娠なので、心身に余裕がないのは言うまでもない。

ただ、なんとも面白いことに、余裕がなくなったからこそ自分の根っこがむき出しになってきたような感覚が、この期間で如実に感じられるようになった。

私の根っこなんぞ、端的に言って気が短い。そして嫌いなものは嫌いであり、いやなものに気を遣うことを何より下らないと思っている。早い話が「自分にとってムカつくことをやるのはもうやめた」ということだ。

 

その代表的なひとつとして、店のSNSの更新をやめた。

 

 

正確に言うとSNS上で「当店はこのようなことを考えて自粛をしますとか営業しますとかそれらについての意見をくどくどと並べたてて時にコメント欄で議論をしつつ色々な意見があるよね正解はひとつではないよねなどと言い合いながらタイミングによっては政策へ話題が飛び協力金の範囲がどうのこうのすべての人へ補償を子供たちに安全を学校や病院の対策をしっかりとしてほしい医療従事者に感謝をマスクをするとかしないとか消毒はきちんと次亜塩素酸水は噴霧しちゃダメ持病のある人へ最先端のケアを渡航歴について明らかにせよ免疫を上げて最終的には1日も早くこの新型ウイルスが収束してみなさんと乾杯できますように」と書く繰り返しをやめた。

 

そういう「新しいスタイルにおける飲食店としての姿勢を、時短や自粛でお客様と会えない今だからこそSNSを活用し毎日明るく声を上げていこう!」という正論について、私はムダどころか見るのも害悪だと思っただけだ。酒も飲んでないのに二日酔いみたいな気分になる。その理由は明快で、投稿の内容に実態がないからだ。

 

入荷情報とかメニューの紹介のような、これまで当たり前にあった実店舗で行われている現実の断片を切り取るのではなく、各々がこの度の新様式における今後の姿勢について、まるで発表会のように僕は私はこう思います!と考えを発表し、世間体だか政権だか知らないがそれぞれが見立てる先生の顔色を窺いながら、最後は書記が前向きな結論をまとめる学級会の延長みたいな繰り返しに胸焼けする。百歩譲ってそれを超本気で言っているというのなら致し方ない。見ていて不愉快には変わりないが、原因が「バカ」なのだからどうしようもないではないか。

だが実際は、アンタ本気でそれ言ってます?と突っ込みたいものが大半だ。上っ面のキラキラした希望的憶測にせいぜい池上彰の番組から引っ張ってきたような安い情報を付け加えて言い回しのみ微妙に変えて風刺したかのような悦を醸し出しつつ、ここぞとばかりに若いアルバイトスタッフのマスク笑顔写真をアップしちゃうような不愉快さはヘパリーゼも効かない気持ち悪さ。そこに群がるコメントも「おまえ誰だよ」みたいな奴が応援しています!と重ねまくるから、迎え酒みたいな事態になってる。

 

とはいえ遠方のお客様などを想うと、シンプルにSNSは生存確認的面もあることを踏まえ、「はい!私はコロナ禍での飲食店のインチキキラキラ投稿って反吐が出ます!」と投稿すればよかったのかもしれないが、投稿することによって多かれ少なかれ生じる「反応」を、この渦中にて健全に向き合えるとは思えなかったので控え続けた。だって、飲食店の人間に限らず誰だって今まともじゃないでしょ。普段なら異なる意見を交換することに意義を感じる方だけど、今はそれを、ましてやネット上でやることは、うまく言えないけど刹那的に感じるのよ。やりあうほどに軋むような。加えて先述の通り、マタニティブルーと産後鬱が影響している今の私でものを申すのは、毒みたいな言葉しか沸いてこない。ただでさえ皆して健康や経済面で苦しい思いをしたりしてるのに、わざわざ関係まで分断しかねないことをする必要はないと思った。まあ、ここまで敵作るようなこと言っておいて今更どうもこうもないんだけど。

 

SNSと一口にいっても今はいろいろ種類もあるし、アプローチの仕方はオンかオフか、またあえてその線を濁した立ち位置を目的とするか、またアプローチの内容に至っては仕事とどれだけ噛ませるのか等々、人それぞれ匙加減なりセンスなりがあることと思う。今回私がやめたのは「店としての実態のない部分を投稿する」事なので、具体的なお知らせとかは今後ボツボツやると思います。そこに注力はしないけど。

 

やっと出てきたかと思えば感じ悪いこと書いてごめんなさいけど、我々にとって大切な人や事柄というのは、会ったこともない「飲食店を応援しよう!」みたいな団体でもなければそういう団結をすることではない。どんな店も皆必死に考えて営業の有無を決めてるんだからそれで良いだろ。ズルで休むわけでもバカで営業するわけでもない。もっともらしい意見をしてくる人は必ずいるけど、はたして耳を傾けるべきはプレイヤーでもなく責任を取ってくれるわけでもない誰かの声なのか、それとも自分の本音なのか。

 

お客様と築き上げた店です。うちのお客様でインチキキラキラ発言喜ぶような人いませんから。

 

長くなりました。愛を込めて。

それいゆ

私がそれいゆに入らせて頂いたのは、高校在学中のことである。何度か触れている通り、通信制の学校であったので日中はアルバイトをしていたのだ。その以前から働いてはいたのだが、なんとも情けない事に16歳で初のギックリ腰をやらかしてからというもの、当時勤めていたパン屋さんなどでの業務は「立ち仕事+その場を動かない」というのがかなり辛く、かといってその年齢で事務仕事というわけにもいかず、せめて「立ち仕事+歩き回る」業務に就きたく思い、飲食店のホールバイトを探していたのだった。

 

それいゆには働く以前からお客さんとして時折行っていた。確か、その日は腰を本格的に痛めて全てのアルバイトを辞め、無職になっていた頃に母と珈琲を飲みに行ったのだ。するとスタッフ募集の張り紙があり、母に「聞いてみなさいよ」と背中を押され、その場でお会計時に尋ねて後日、面接ののち採用して頂いた。

 

当時私が行く時間帯に働いていた女性スタッフが、とても優しいお姉さんだったので安心して入ったのだ。だが入ってみたらそのお姉さんがお辞めになるというではないか。そうか…仕方ないよな…と思いつつ、勤務初日にそのお姉さんスタッフへ何か質問をしようとした私は「お姉さん」とその方を呼んだ。

 

すると目にも止まらぬ速さで「シッ!!」と私を制止するではないか。そして言った。「恵ちゃん、ダメ。このお店ではおねえさんというのはお姉さんたちのことなんだから」と。

 

「?」

よく分からなかったが何やら地雷を踏んだ感を肌で感じたので、以後気を付けた。そして今となっては広く知れ渡っておられる通り、経営者である「おねえさん達」にお世話になっていくのであった。

 

その女性が辞めると、パートの主婦の方二名を除くとバイトスタッフが自分以外全員男性であることに気づいた。正直、カフェとか喫茶店のバイトって女の子が多そうと思っていたので、ギョッとしたのを覚えている。そして皆さん個性豊かでタイプがバラバラであった。「きっとこの男性陣同士は、学校とかで出会ってたら仲良くならなそう」と勝手ながら思いを馳せて見ていた。(実際には皆さん仲良しでしたよ、念の為)

 

学生時代の私なんぞ単なる生意気なクソガキだったので、皆さまには失礼を多々してきたと思う。でもいつも温かく、バイト先なのだが家のような安心感があった。5年くらいお世話になった。

 

辞めた後も事あるごとにお邪魔させて頂いた。水出し珈琲の器具を中心にして店内に存在する空間は、いつもコンパスのようだなあと思う。メディアにも取り上げられている今はより一層混雑していることと思うが、どんな層のお客さんがいても飲み込んでしまうようなお店の色。混沌としているようで、それはいつもシンプルな原色のように私は感じる。

 

今はどうか知らないが、勤めていた頃の仲間たちはほとんど他県出身であった。上京してきた若者だ。それまで同じ都内の友人知人しかいなかった私にとって、自分にとっては地元であっても、東京という場所はあらゆる所から人が集まる場所であることを漠然と感じた。端的にいえば「隣人が常に同郷ではない」という気付きであり、ちょうどその頃学校で「東京」をテーマに一本書けといわれていたところだった為、自分の考える東京の特性として、そんな事に触れたように思う。

 

20代の半ば過ぎ、離婚を機に杉並区へ戻った私は久々にそれいゆへ行った。情けないやら不甲斐ないやらで恥ずかしい思いであったが、上のおねえさんがそんな私の報告を、ただただ「うん、うん」とニコニコしながら聞いて下さった。そして「何にも恥ずかしくなんてないのよ、頑張りました。これから元気に楽しくやれば良いのよ」と、私をハグして下さった事に、どれだけ励まされたことか。パンプキンパイの素朴な甘さと相まって、優しさ極まりない。

 

お店の空気に通ずることだが、おねえさん達の、またそれいゆの凄さは「人や物事を否定しない」ことに尽きる。多くのお客さんを受け止めるキャパ(物理的面積ではなく)が、類をみないほどのキャパだと思う。普通なら慌てそうな事も、たいがいの事には「あらそう」と言ってしまうおねえさん達がいる。あまり書くと怒られそうだから控えめに言うけれど、おねえさん達は誠にキャラがぶっ飛んでおられるため働いていた頃はよく度肝を抜かされたもののだ。

あんなふうになりたいなと今はよく思う。あの溢れんばかりの優しさ、温かさを自分より若い世代の人達へたっぷりと注ぎ込むのはやっぱり振り出しに戻るけど、優しいんだよなぁ…。

 

臨月にもご飯食べに行きました!鉄骨パスタもナスのチーズスパもカレーもケーキも勿論水出し珈琲も大好き。未だにそれいゆの人々とは繋がっているのも、本当に幸せなこと。娘も一緒にまたお邪魔できる日を楽しみにしつつ、これからもずっとずっと、それいゆの大ファンです。

4ヶ月を迎えて思うこと

本日、晴れて娘が4か月を迎えた。これを書きながら、4か月前の今頃は人生最大級の痛みに悶絶していたのかと思うと、つい最近の出来事なのになんだか夢物語のように感じる。

 

コロナの影響により3ケ月健診が中止となってしまったため、正確な成長具合を把握できず残念ではあるが、おおよそ出生時の2.5倍ほどに体重も増えた様子だ。首がきちんと座っているのかどうか私では判断できかねるが、随分しっかりしてきたのが窺える。

また、ここ最近では寝返りの練習をしているようで、一生懸命コロコロと横に転がろうとしてはうまくいかないことにイラつき、バタバタしたりする様子も見受けられる。

 

今日は私の両親が「ドライブスルー」で会いにやって来た。同じ都内とはいえ、車で片道1時間ほどかかるにも関わらず、家の前でほんの5分顔を見たかと思ったらすぐ去っていった。ゆっくり上がっていってほしかったが、その心遣いに感謝すると共に、母より渡された荷物の中身にまた涙腺をやられた。

 

娘の物も入ってはいたが、ほぼ私に向けての物であった。お菓子や酒、服、そして煮物を作ってタッパーに詰めてくれていた。里帰り中もそうであったのだが、母は「買い物行ってくる」と家を出ては私の好物のフィナンシェをしょっちゅう買ってきて黙って台所に置いておいてくれた。自宅へ戻る際にも、「アンタが久しぶりに家にいるのが楽しかったよ」と言ってくれたのが強く心に残っている。

 

そうは言っても初孫であり、特に私は一人っ子のため、唯一の孫となる娘に対し顔がほころんでいるのがよく分かる。だが、両親がにこにこと娘の顔をのぞきこんだら、娘は泣いた。

 

正確には、泣く手前。ギリギリの、下唇をぐっと出して小鼻を膨らませながら精一杯泣くのを我慢している顔である。今のところ、他の赤ちゃんの話を聞く限りうちの娘はあまり泣かない方であるようだが、まさかこのような場面で「ウウッ…」となるとは予想外であった。予防接種の時でも「ウワアン!!」とひと泣きするだけで耐える娘である。それが、まさか本人にとっての祖父母の顔を見て泣きそうになるとは。

 

普段から、部屋で1人になるとすぐ気付き泣くことはある。

単純に「1人が嫌」なのだと思っていた。

でも昨日の件で、「私か夫といないと嫌」なのだという事に気付かされた。

 

こんな小さな体で、毎日これでもかと成長をしているのだ。視覚も聴覚も五感の全てを、生涯においてもっとも働かせている時なのだ。不思議そうに外の音を気にしていたり、猫の気配を目で追ったりしている瞬間瞬間に、彼女の細胞はフル稼働している。私と目が合ってパアァと笑うその心は、どんな気持ちが占めているのだろうか。

 

それが彼女にとって嬉しいというなら、私にとってこんなに幸せなことが他にあるであろうか。夫ですら、私と目が合ったって別に嬉しくも何ともなさそうである。どうせブスとか思われているのだ。重ねて気づくのは、この世で唯一私の目線に娘と同じように喜んだのは、36年前の母なのだろうという事である。

 

世の中には色々な人がいる。個人的にマジくたばれと思う奴も少々いるし「何がどうなるとそうなるんだ」というようなヤバい奴に出くわしたりもする。どの角度から見ても不備ナシといわんばかりの凄まじい美人、ハゲ散らかして異臭を放つクソジジイ、また世界には沢山の国の人達がいるが、全員が誰かの腹を痛めて、ぷるぷるフニャフニャした新生児期があって、赤ちゃんとしての時間があったのだ。

 

無論、出生の背景に事情のある方も少なくないし親がいないケースだってあるだろう。それでも、今ウロウロしている全ての人間には共通して「産んだ人」がいるのだ。天地がひっくり返ろうとて出産の痛みとは強烈であり、それを耐えた人がいるのだ。産後、入院中に一番に考えたのはその事だった。

 

私は「子供産んで一人前」的な考えは嫌いだ。別に子供がいても一人前ではないからだ。死ぬ時に「1人分」の人生をまっとうするのだから、その際やっと「一人前」なのだと思っている。

子のいない人には育児とは別の、成し遂げるべきものが背負わされている。また、その成果を世でどう用いるかを試されているし、ビジネスを通じてとか人によりけり、人生とは人との関わりである以上、そこに子の有無は関係ない。関わる人へ対する在り方と生き方の問題であって、その人を通じて誰かがハッピーになるのであればそれより大事なことなど何もないのだ。

 

娘は私に似て手が大きく、指がかなり長い様子だ。その手で何を掴んでいくのだろう。

 

但し、当然まだまだ私の方が手は大きい。私もまだまだ掴む気でいる。

危機に晒されまくりの飲食店とはいえ、この状況が不幸か?といえばNOだ。大変で超ピンチなだけだ。ここから私達が何を掴むのか。娘といつか話のネタになるよう、今は日々の健やかな成長に感謝したい。そして4ヶ月目でこんなに変化を見せてくれる娘に倣い、もうすぐ3歳のかこみはこの機にどんな店になるのかを楽しみたいと思う。

 

 

 

パンドラではない箱

私は「箱」が好きだ。どんなの?とか何で?とか聞かれても非常に答えに困る。ただ単に箱というシロモノが好きなのだ。次いで「缶」も好きである。

 

「どういうふうに使っているの?」という質問も大変困る。はっきり言って全く活用できない。買うときには何となく、「コレ、アレを入れるのに良いじゃない…!」とひらめいているのだが、いざ入手すると特に何も入れない。箱、缶系統の続きとしてこれも無意味に好きなのが「袋」とか「ポーチ」も挙げられる。断じて「バッグ」ではない。むしろバッグには興味がない。唯一「トートバッグ」の類のみ、様々な大きさで収集してしまうのだが、私の選ぶトートバッグは仕切りだの外側の飾りはない単なる手提げ袋である。そしてこれまた、一、二点を除き特に使ってはいない。

 

缶入りのお菓子なんぞ頂いてしまった日には、申し訳ないのだが中身より缶が気になってしまい、早く空にしたくて大急ぎで食べる。味わってる暇はない。早く空にしたい。空にしたところで他にしまう物が控えているわけでもないのに、とにかく大急ぎだ。10個に1個くらいの割合で、「これは良い缶だ…」とうっとりする缶に出会うのだが、繰り返し申し上げる通りで特に活用には至らない。

 

100円ショップは大変危険な場所である。あらゆる箱やポーチ等がある。行くたび夫に、「箱買うなよ」と注意をされる。今でこそ自宅が窮屈なほど狭く、また浅草橋には100円ショップがないので事なきを得ているが、オダサガ時代の自宅はめちゃめちゃ広かった上に徒歩3分の距離に100円ショップがあったものだから、凄まじい箱の買いっぷりであった。

 

しかしこの前の年末、領収書を整理しようと無地のビニールポーチを買いに行き、サイズ違いで展開されていたものだから選べず、結果ぜんぶ買った。100円ショップだから千円とか二千円の出費で済んでいるが、私自身良いと思った箱関連については金に糸目を付けないため、なるべくオシャレな雑貨屋とかアンティークショップで箱を見るのは控えている。要は、容れ物を買えばある程度気が済むのだ。

尚、このとき買ったビニールポーチは実際には使っておらず、領収書はジップロックにぶち込んでいる。

 

昔は加えて「カゴ」も好きだったため始末に負えなかった。以前書いた通りで、私は常に猫と暮らしているのだ。無事なわけがない。近年ではさすがに学習し、カゴは買わなくなった。

 

現在、特に気に入っている缶の中でも10年以上日の目を浴びずにきたひとつが、珍しく活用されているのでご紹介したい。かなり昔に買った星の王子さまの缶だ。確かチョコレートが入っていた。

何に使っているかというと、諸用のための100円玉を入れている。書いていて誠にパッとしない活用法だと我ながら身にしみつつ、10年の時を経てやっとピッタリの活躍の場がやってきたこの缶へ、ますます愛しさが募るばかりだ。

 

近頃、娘の物が増えてきた。はっきり言って箱が欲しい。何か良い箱はないか。大きいのから小さいのまで、たくさんの箱が欲しい。ニュー箱を求めに早く出かけるためにも、元気に外出できる日が待ち遠しいが、次こそはキチンと活用すべくサイズとか真面目に考えた方が良いかもしれない。

 

何の脈略もないこと書きましたが、同じような趣向の人っていませんかね…?f:id:megumiiguchi94:20200425124757j:image

チンパンジーぽい以外の夫の特徴

夫の特徴といえば、チンパンジーだということは以前にも書かせて頂いた通りなのだがもちろんその他にもいろいろな要素があるわけで、歌がうまいとか意外と繊細であるとか、声がでかいとか酒癖が悪いとかバナナが嫌いとか酔っぱらうと内股になるだのがすぐ思いつくあたりである。が、中でもひとつ特筆したい事柄がある。夫の特徴で目立つもの、それは「やたら生活圏のコンビニスタッフと仲が良くなる」だ

 

結婚してから8年間の間に西荻窪小田急相模原(神奈川県)、そして今の浅草橋と三カ所に住んだが、各地にて生活圏のコンビニスタッフとはしっかり顔見知りになり、特にオダサガ時代に関してはプライベートでも濃い付き合いになっているほどである。

 

私は接客業をしいているものの非常に根暗につき、オフになると途端に「しゃべるスイッチ」が切れる。なので店の買い出しや、相手に店名が割れているとき以外ではスーパーでもコンビニでも洋服屋でも飲食店でも、店員さんとはほぼ会話をすることはない。こう言うと誤解を招きそうだが、私はしゃべる、という行為にかなりのエネルギーを使うので、疲れるのだ。ただ、決して嫌いなわけではなくむしろ好きだからこそ仕事にしているわけで、仕事中にしゃべる分、他では休みたい、という節がある。実際はわざわざ意識しているわけではなく、単純にもう、力尽きるので喋らなくなるだけなのだが。

早い話が、ド三流なわけです。

 

夫は違う。オフだろうが関係ない。しゃべりかけられてないのにバンバンしゃべりかける。スタッフさんもまさか、こんな絡んでくると思っていないので初めは戸惑っているのがうかがえる。

自粛以前の話になるが、店の帰りに毎日寄るセブン〇レブンではだいたい決まって深夜1~3時くらいの間に行くため、働くスタッフさんたちもある程度同じ顔ぶれである。その店舗ではウズベキスタン人の青年がたくさん働いているのだが、夫は名札を見てバンバン名前を呼んで話しかけるので、見ていてこちらがひやひやする。ていうか、よくそんな慣れ慣れしくできるよなあと私は感じてしまうのだが、絶妙なところで失礼にはならない感じで距離を詰める。結果的には母国に帰省した際などお土産を買ってきてくれたり、行くたびむこうからしゃべりかけられるような関係になる。気づけば私もついでに仲良くさせてもらっていて、全員顔と名前が一致する。

コンビニスタッフに限らず、関わる業者さんなどは勿論ながら、「店の前をただ毎日通るだけの人」とかまですぐ仲良くなり、生活の中で出会う人は全員仲間!みたいにしてしまうので、私は妻の立場で見ていてあまりに自分とはかけ離れた性格に付いていけない反面、そういう夫が好きだし、また尊敬している部分でもある。

 

オダサガの時は毎日寄るファミ〇の店長、副店長と親しくなり、休日にはそれぞれのパートナーも交えて飲みに出かけたりした。いまだにお付き合いは続いていて、こちらで開業してからも何度もお店に来てもらっている。何より、オダサガから台東区へ引っ越しをする際は、荷造りの手伝いまでしてもらった上、引っ越し当日に出たゴミの処理までお願いし、あの日手伝ってもらえてなければ無事に引っ越せんかった…というほど助けられた。

 

彼は身内の私がいうのも何だが、裏表が本当にないのだ。商売をしていれば、それが良くも悪くもあるのだけれど、根本にある「人間好き」なところが歳を重ねるほどに強くなっている印象を受ける。どんどんひねくれたり合理的になっていきそうなものを、彼はますます率直になっていっているように感じる。私がここ最近で母になったように夫も父になった。もともと優しい男だが、もっと優しくなったしアホにもなった。たまにいい加減にしてくれという時もあるが、彼の心に意地の悪さがないことを私はよく知っている。だから好きだ。

 

最近はコンビニに行く回数もグンと減り、私に関しては里帰りをしてから深夜帯のスタッフには会えていない。最低限の買い出しとなるので、コンビニに用なく寄ることもできないが、早くウズベク青年陣に娘を会わせられる日がくるのを楽しみにしつつ、自粛期間を大事に過ごそうと思う。