37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

流行り病

唐突だが、私はバーバパパが好きである。

その事について、仮にAさんと話していたとする。私がAさんに「Aさんはバーバパパ好きですか?」と尋ねたとしよう。

Aさんの返事が「好きですよ」でも「嫌いです」でも「いや、考えたことないな」でもなんでも良いのだが、その返事の内容によって私のAさんへの感情はどうなるであろうか。

 

例えば、Aさんの返事が「好き」だとするなら

あら奇遇ね分かるのね、あの丸さが良いのよねなどと共通認識について語りあったりするかもしれない。その場が盛り上がり楽しいおしゃべりをするであろう。その際のAさんへ思うことというのは「Aさんもバーバパパ好きなのね」という感想である。後から思い返すとしても、「あの時Aさんとバーバパパの話で盛り上がって楽しかったな」という感想である。

 

これが「嫌い」だとしても同じことである。「ふうん、Aさんは嫌いなのか」という感想だ。共有できないことで残念な気持ちは多少わくかもしれないが、残念ねというのもまた感想である。

 

「感情」はどうか。

 

はっきり言って、何ら変わりはない。Aさんがバーバパパを好きであろうが嫌いであろうが、そのことでAさんという人について好きにもならないし嫌いにもならない。Aさんという人が親しい友人であるか取引先の気難しい人かまで設定は考えていないが、どういう間柄であるにせよ「感情」はまた別の話である。

 

ただ、もし次のようであればどうであろうか。

 

私がバーバパパを好きなことをAさんは知っている。そしてAさんと別にバーバパパの話などはしていない。ところがAさんが私に「自分はバーバパパって嫌いだね」と主張をしてくるとしよう。

 

「いや聞いてねえよ何だよコイツ」と私は即座に思うであろう。そのときの私の心にはおそらくこのような思いが沸く。

「むかつくな…」

 

この瞬間、感想ではなく感情が動く。そしてこのようなことが続けて繰り返されるとどうなるであろうか。想像するのは容易く、ずばり「Aさん嫌いだわ」となる。感情の積み重ねは思いを変える。

 

今日においてはバーバパパが好きとか嫌いとかでは済まない多くの問題が、人と人との間にはびこっている。そしてそれらの問題は新型ウイルスと同等以上の猛威を振るい、健康面、経済面で人々を追い詰め、生活そのものに介入して人の「感情」を煽る。諸々、自分の考えを突き詰め、これを機に政治や宗教、人権等思うところを発信するのも、やりたい人は好きにすれば良い。断じて言うが、私はそれをしない。そしてそれらをする人たちについて何も述べない。聞かれても答えまい。答えないかわりに答えない理由を一つ申し述べる。沈黙が今の私には言葉より価値を感じる、それだけだ。

 

ここへきて、それまで親しかった者同士に亀裂が入るのをよく見かける。そのつもりがないにせよ、煽られた「感情」がいつの間にやら息吹をあげ、その人その人の人格にすり替わり、人付き合いの采配を振るうからであろう。そう、よく見かけるでしょう?「賛同する人はシェア」とか反対する人は今すぐここに署名を!とかの分かりやすいものから、目には見えないけど人と人の間に引かれていく線が。この意見に同調しているから仲間で、いいね!も押してないアイツはもう仲間ではない!みたいな。

この人は話の分かる人だ、と熱くなってその人のことを全肯定する勢いになっちゃって、ある事について意見が違うとなれば急にこの人はダメだと否定する。それまで構築してきた関係における実体験はどっかいっちゃって。まあ誰しもに少なからず罪悪感というのはあるから、否定する方向で気持ちが動くときはそれなりに良心が痛んだりしてセーヴできることもあるけど(あとは悪い意味で人目が気になってとか)、私は、ある事だけの共感で肯定に突っ走る方が怖いなと感じている。

 

時代がどうであれ、状況がどうであれ、生きるにせよ死ぬにせよ、永遠に変わらないことがある。この世に「義人はいない、一人もいない」のだ。もれなく人間は罪深い。

 

過信をするな、悲観もするな。

 

あなたがワクチンを打つと決めても打たないと決めてもあなたは尊い。店を営業する決心をしても休業する決心をしてもその決心は他人に値踏みされるべきではない。五輪に賛成しても反対してもその意見を抱くまでの思いがあるのだから人に裁かれるべきではない。自国をさげすむ暇があるならまず自分の周りの異なる意見の者をあなどるのをやめろ。あなたにとって「分かり合えないわ」と思うその人もまた、この国の人間だ(別に国籍はどうでもいいのよ、ここでの話は)。自分の身の周りひとつ穏やかに過ごせない者が大声でがなるな。既に政治等に力ある立場の人間でアホな真似しかしない存在について精神を消費するな。やがてそれらは滅びるから。生きてるだけで精神はいつも大変なのにわざわざ消耗しなくて良い。善人も悪人も必ず死ぬのだから。今、置かれている場所で腐らず生きること、そのためには人をそしると出来なくなるよ。

 

「そんな抽象的なきれいごとばっかり並べて単なる主婦の戯言ではないか、早急に憲法云々あれやらこれやら阻止せねばならないし国のトップが変わってくれないといけないのだからそういう話し合いこそ価値があるのだ、お気楽な女め」などとおっしゃる方もおられるであろうが、然り、私は単なるお気楽な主婦として戯言を述べているに過ぎない。そして国のトップについて日々思いを抱いているが、極論どの国のトップと比べたとしても自分の命の価値が劣ることはないので、アホだと思うようなお上のために下々の者同士という立場で論じ合うだけの時間をささげるつもりもない。SNSで激しい論じ合いをよく見かけるけど、そこまでお上にささげられるような立派な下々の者であるなら出馬されてはいかがだろうか。投票しねえけど。

 

感想と感情、思いを分けろ、明確に。些細なことから訓練できる。

 

うむ、それでもバーバパパが好きで更にイコウワイス(俳優)が好きでNARUTOが好きでワインも好きとか好きがあまりにも重なる人にはそりゃ親近感沸きますよ、念のため。

 

とりあえず聞かれてもないのにうるさいイヤなAさんみたいのが減らないと、騒音で目的の音色が聞こえない的な始末になるので心の音響さんを駐在させんといけません。

マイクの音量も大切です。伝えたいからとて、でかけりゃ良いってわけじゃない。うるさいと感じたら耳を塞ぐしかないんだわ。

 

 

ウイルスと共に蔓延しているのは感情が人格を乗っ取る病。その感情の沸きどころを冷静に見つめないと人格ごと腐る。

 

「陰口は食べ物のように呑み込まれ 腹の隅々に下っていく。」Proverbs.18:8

 

あー江の島行ってリースリングラッパ飲みしたい。