37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

自慰みたいなもんじゃねえか酒なんてと言ってみるだけの私は現在酔っぱらっております。

人にもよることなので、あくまで私のケースとして聞いて頂きたいのだが、酒が美味しいのは1人の時である。

 

一つ、似ているなあと思う事柄として買い物や映画鑑賞がある。もちろん誰かにこんな物を買ったよ、とか、同じ作品について感動を分かち合うのは楽しいのだが、いざその時間を共有したいかというと私の場合は否。どうせ同じ時間をそこに使うのであればどっぷりといきたいので、1人の方が存分に自分の感性のみで集中できるからだ。酒を飲む、という行為も私にはまさしくそれである。

 

正確には心通ずる相手と共に頂く酒は、美味しい。とくと感じている。ただ、あくまでそれは別のベクトルの話であり、同じ美味しいといっても和食と中華とフレンチと…に甲乙つけられないのと同じで、1人の酒は1人でしか、完成しない。

 

今から10年以上も前の話だが、ひとり暮らしを始めたばかりの頃、近所のスーパーのお酒コーナーがわりと充実していた。今思えばとびきり良い、というわけではないのだけれど、そこそこの価格でそこそこ気分の上がるようなワインがたくさん売っていた。当時は飲食業はやめるつもりでいたので、別に単に飲む以外の興味はなかったのだが、いろいろと思い起こすとあの頃にただ何となく選んでいた酒がワインであったからこそ、今に至るのかなあと感じている。

 

 

当時の私はまだ西荻に飲みに繰り出す前。特に飲む相手もいないし、飲みに行くという選択肢すらなかった。帰宅後に好きなバンドのライブDVDをつけて、安いグラスに自ら注いで飲むのだけど、その日の疲れや未来への不安で潰れそうな自分が、唯一リラックスする瞬間であった。私にとって「酒を飲みたいなあ」は、ちょっと甘えたいな、寄りかかりたいな、とほぼ同義語である。シラフではとても飲み込めない感情を喉に流し込み、消化して、新しい日を待つ。

 

そののち、アホかというほど外で飲みまくるようになるわけだが結局のところ「飲む前」よりその一口で、楽しくなるかな、という期待であったりするのだった。まあ当然一口なんかで終わるわけがないのだが。

 

そんな事を自分に思っていたからか、お店で初めてカウンターの中に立つことになった際は「この人はなんで飲みに来てるのかな」とお客様について疑問に思っていた。

特に初めてお酒に携わらせて頂いたお店は安くはないお店であり、お客様自身がそれなりのお酒の知識を持ちつつ単刀直入にいえば平均的収入よりもお金を稼いでいる方が多かったのだ。こんなに人生成功してそうな人たちがわざわざお金や時間をかけて、またお店である以上、時に並びの他のお客さん同士で気を使いあうような場面もあるのにそんなことをしてまでも、人はお酒を飲むんだなあと思って見ていた。はたして私が部屋で1人飲むのとは全然違うことなのだろうか。掘り下げる。別に飲まなくても、むしろ飲まなければ、単純にその分のお金も時間も浮くし明日の目覚めも軽快だろうし、私のような薄給の者からしたら節約を優先したって良いわけだ。でもなんで私は飲むのかな。1,2時間のひと時を、なんで私は楽しみにしているのかな。目の前の立派な紳士淑女の皆さまは、私鉄沿線のワンルームで細々と暮らすバツイチ女でもないのに、私と同じく、お酒を片手に笑っている。お席についたときは固かったお顔が笑っているなあ。もちろんお金をお持ちだからこその、銘柄としてコレを飲みたい!という欲求もあるのだろうけど、ああ、そうか。実際にグラスを傾けさせるのはきっとそんな事が由来ではないのだ。

 

理由や形はどうあれど、みな等しく、愛されたいのはおんなじかあ。

 

歳も性別も関係ない。職種も収入も、飲む際に1人か2人か3人か4人かも関係ない。目覚めた瞬間から始まり、今の今まで続いている今日という日に、ほんのわずかの非日常を日常の夜に落とし込みながら、誰もが同じくして新しい日を待つ。なんだ、別に私そこまで、腐りきってないじゃん。みんな似たようなもんじゃん、とも思った。テーマからはそれるが、今お店をやっていてもその事はよく思い起こしている。

 

 

もちろん何か景気の良いことがあってワーイ!かんぱーい!みたいになるケースは多々あるしそれまたお酒の持つ一つの顔であろう。私だってよく経験する形の飲み方だ。

 

でも核に芽生えたものは、ネガティヴなままの自分にも寄り添ってくれる相手、としての存在感であり、そしてそれはほんのすこ~し、視点を変えてくれたりする。最たるパターン、「まあ、いいや」。

 

人というのはもれなく弱い。寂しさについてはウサギよりよっぽど弱いと思うよ、ほんと。1人で飲むと自分の心が赤裸々になる。私は何が寂しいって、めちゃくちゃナルシストみたいなこと言うけど、自分が自分を構ってやれないことが一番寂しいのだ。1人で飲む酒は、自分のその時飲みたいなと思うものを自分にあてがい、目や耳にも自分で求める心地よい文章や音をあてがい、飲むペースや終えるタイミングについても自分へ自由をあてがい、深刻に悩んでいた事柄についても「まあいいや」と我から言わせ、もしかするとこういうのをアル中と呼ぶのかもしれない疑念は置いておいて、それはそれは甘く優しい時間であるのだ。

 

繰り返し言いますけど、ことワインにおいては特に、誰かと飲むのが好きですよ。

いつかの機会に書きますが、人と飲む酒の効用たるや、また乙なものでありますから。

 

ちなみに未だに譲れないのは、「1人で飲む」赤ワインには肉よりチーズより、ノラジョーンズが最高だってことでしょうか。