37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

要はキレの良さがものをいう

世の中には無価値な言葉が多々散らばっている。散らばりすぎて本当に価値のある言葉が隠され、探す気のない者は無価値な言葉に簡単に感動し、否、感動したつもりになった洗脳を心地よく受けながら、流される自覚もないままに流されるのだ。

 

今は、あらゆる事柄に賛否の問われる時代である。

 

とある件についてアナタは賛成?反対?その繰り返しが日常となった。自分では決めかねるので他者と相談を繰り返しながら、自然と自分と違う方の意見を持つ他者とは距離ができる。

 

それはごく自然なことであり決して不健全なことではない。そういうものだからだ。意見を持つ同志のいざこざは良いのだ。但し、一定数、もしかすると過半数にあたる人間は、「他者が自分をどう思うのか」が判断の基準となっている。何事においても、だ。

 

客商売をしておきながらそんなんナシでしょ、と不愉快に思われる方もおられるかもしれないが、はっきり言って人の目なんぞ私はどうでも良い。客商売は人目を気にしてやるものではなく、お客様と自分、また関わって下さる取引先さんと共に楽しむことだと理解しているので、誰もかれもにへいこらするためにやっているわけではない。

 

私は私が尊敬する人や真に想ってくださる方にお叱りを受ければしかと見つめ直すが、まるで私の人生に的外れな事を言ってのける人間について気にするほど暇ではない。常にカツカツな分際で過去、例えばうちの業務上の話でいうと、お客さんとしていらした方にブチギレて出禁にしたことは3回ある。我々の店のある土地は歴史あるお店も多く、土地の人が多いため、新参者という立場であるのは百も承知だ。じゃあ、だからって無粋な真似をし他のお客様にご迷惑をかけるような人間に合わせたならば、その瞬間に本来のお客様を失うであろう。品など皆無に成り下がる。私は、老若男女問わず、1人ででもお連れ様がいても、リラックスして過ごせるお店でありたいと思っている。その守るべき線を守るにあたって、無価値な言葉は切り捨てる。冒頭から申し上げている、無価値な言葉とは何か?それは薄っぺらい己れの垂れ流しのことだ。

 

誠意に由来しない意見は単なる自己陶酔に過ぎず、流されて丸め込まれたネットニュースのまとめみたいな事をさも自分の意見かのように語る者は愚か者である。口数の多い者は滅びる、自分の舌によって。

 

あらゆる判断を求められるご時世だ。

でも、そんなことは今に始まったことではなく、日々の何気ない瞬間の中にも散々あったことなのだ。この渦中で浮き彫りになっている最も大切なことは、魂の在り方だろう。別にヤンキーではない。

 

自分の思う心とはどこにある?

すべてそこで判断するのだ。流されている場合ではない。

上司が指示したから、

友達がそう言ったから、

テレビでも言ってるから、

「みんなが言ってるから」、

 

そんな観念は今すぐ捨て去れ。1ミリも役に立たないと断言する。単なるアラフォー主婦の申し述べる事だが発言に責任を持つためはっきりと言おうではないか。外野のヤジは無視でよし、東東京在住井口恵より。

 

時代に対応すべき事と、時代に振り回されてはならない事とを見極める必要性。見極めるためには新たに眼鏡をかけるのではなく、知らぬうちにかけている悪趣味な色眼鏡を外すことから始まるのだと思う。

 

あ、最近またお気に入りの眼鏡の一本を長女にフレームねじ曲げられました。Zoffいかなきゃな!