37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

雑な脳の整理

最近自覚したのだが、私はかなり酷い方向音痴である。そのつもりなく36年生きてきたのだが、度重なる夫からの指摘を受け、また実際によく迷うため分かってきた。

 

現在、自宅と店舗との距離は徒歩15分かからないくらいなのだが、開業してしばらくの間は店を出るときに進む方向が、右か左かも曖昧であった。また、例えば夫と互いに出先から近所のスーパーで落ち合おう、などとしようとすると、落ち合えない(今は大丈夫ですよ、念のため)。合羽橋や上野に用事があってチャリを走らせてみても、本来10分あれば余裕で着くはずの目的地に30分は着かない。普通であれば、とっくに方向音痴であることを自覚するのかもしれないが、早い話「どうにか着くのであればそれで構わない」くらいにしか思っていないので、人より時間がかかることも気にもとめずに生きてきた。迷うことなどデフォルト過ぎて違和感がないのである。

 

けっこうそのような事がある。何時間もかけて話をした内容を、内容どころか話したこと自体を忘れ、あとから言われてもまったく思い出せない。夫には「お前、本気で言ってるのか」と呆れを通り越し恐れられているが、思い出せないのだ。しつこく内容を反復されれば、稀に「ああ、もしかしたら話をしたかもなあ」くらいにまで思い出すのだが、自分としてはもちろん悪気はない。ナメてるな、とよく言われるとおりで確かにナメきった記憶力だと我ながら思う。

 

ただ、まあこれは仕事なので当たり前ではあるのだが、お客さんが何をどのような順番で飲んだとか、その時お料理は何だったかとか、口ではこんな感想を述べていらっしゃったが表情はイマイチだったかもなとか、どこに座りどんな服を着て何時にいらしてどんな会話をしたかとかはだいたい覚えている。別に覚えようとしなくても覚えているし、メモにとるわけでもない。というか、これを覚えられなかったら飲食業はそもそも厳しい次第だが。

 

ただ、なぜか覚えられない顔立ちという人が一定数いる。おそらく自分の記憶の中で、仮にAさんBさんとすると区別ができていないのだろう。決して似ているとかいうことではないにもかかわらず、印象がごっちゃになってしまうのか、「あの人は〇〇銀行の営業の人だ」と思い込んでいる人が「いつも来てくれる配送の人」だったり、「コンビニのスタッフの人だ」と思ってる人が「病院の受付の人だった」とか、まったくもってめちゃくちゃに交錯する。その点、気持ち悪いほど正確にかつ深く記憶しているのが夫だ。どこかの街で通りすがっただけの人ですら、もう一度見たらしっかり思い出す。いっそ探偵でもやれば良いのではと思うくらい、「あ、あの人このまえ新宿行ったときに駅で通りすがった人だ」とか事細かに思い出すようである。

 

そして私は男性の「ヒゲ」を認識できない。ヒゲがトレードマークのような人もいるわけだが、そのような人がヒゲを剃るとずいぶん印象は変わるはずなのに、まったく気づかないのだ。女性の髪形だけは気付けるように意識しているのだが、ヒゲについてはどうもダメだ。今、夫に生えてるのかどうかも分からない。

 

夫いわく、「自分にとってどうでもよいことはかたっぱしから忘れるんだろ」とのことである。人聞きが悪いが、きっとその通りなのだ。子供の頃からそうである。そして私は寝つきがとても良い。よく、脳は睡眠中に記憶の整理を行うときくが、寝る前から整理しているのだろうか。一晩同じことをずっと考えること自体ができない。布団に入ったら寝たいのだ。悩んだりすることは私も人並みにある。でも夜中に悩むことはめったになく、試しに悩んでみても、途中でゲームや漫画などに夢中になることにして、眠くなって寝る。

 

これは憶測でしかないが、人には各々、思考のキャパというものが決まっており、キャパを超えた思考を自分に課すと多大なるストレスになるのだと思う。平たくいえば、悩める量は決まっている、ということだ。

それを超えて脳を使うと健康を害することにも繋がるであろう。「だからって考えないなんて出来ない!」のも人間だが、これはある意味自分への癖付けでしか解決しない。私は根暗で、基本思いつくことはネガティヴなことばかりで、起きてもないことに恐れてばかりの一方で「いやはや私では解決できんしな」という諦めの早さがある。少なくとも日をまたいで何か考え続けるという発想自体がない。自分が考えることよりも、自分が寝ることの方がプラスに感じるからというのと、どうせ明日もまた悩むのだから今日はもういいじゃん、と思うのだ。雑といえば雑でしかないし、時折指摘されるように身勝手に映るのであろうが、それで私はこうして私でいられるのだからこういう自分が好きでもある。

 

キャパを超えるものは頭から排除する。大事なものも忘れちゃダメじゃないかとお叱りを受けそうだが、そんなときのために、人は一人じゃないしスマホもあるのだ、ということで。

 

方向音痴は、困ってる実感がないので一生治らない気がするや。まあいっか。

 

柳橋

お店を構えて、もうすぐ三年になる。正直なところ開業をしようとするまでは浅草橋という駅に降りたことがなかった。

 

一部、お客様の中ではご存じの方もいらっしゃるが、今の場所の前に我々は一件申し込みを入れた物件があった。同じ総武線沿線ではあるが、浅草橋とは、またずいぶん雰囲気の異なる某駅である。

 

結果、その物件には振られたのでこちらにやってきた次第だが、今は心から思う。この場所で良かった、と。

 

実際にお住まいの方はよくお分かりの通り、駅名でもある「浅草橋」という地名がこの一帯ではもっとも飲食店等が多く、賑わっている地域である。私たちも、その一帯は勿論見た。でも、今ある場所であるこの「柳橋」という地の持つ、空気感に惹かれた。

 

実際にオープンしてから、お客様やご近所の皆さまに、柳橋の歴史を教えて頂いた。去年はお店で、当時のフィルムを皆で観る機会を設け非常に興味深かったのだが、そのときの私自身は悪阻がマックスでとても二階に上れず、観そびれてしまったのが悔やまれる。(落ち着いたらまたやりましょう!)

花街としての良い意味でのプライドが、いまだにここには通っているのが分かる。伝統芸能然り、当時から続くお店然り、料亭の名残を垣間見る多くの建物然り、江戸通りを挟んだこの柳橋という地が今はとても好きだ。

 

何より、土地の皆さまがいつもとても温かい。言ってしまえばよそ者に過ぎない我々を、可愛がってくださる。柳橋は同時に、単身者向けのマンションも多く、うちのお客様にも多いように単身赴任で住んでいらっしゃる方も多い。立地としてとにかく都心へのアクセスが良く、私の地元である西東京に比べるとやや家賃相場は高いとはいえ、日本橋や馬喰町に比べれば少し手頃なのも魅力なのだろう。店舗の家賃は決して安くはないが、頑張りがいのあるお客様に恵まれている。そして隅田川沿いを歩くのは、本当に気持ちが良い。

 

去年、娘が生まれて改めて思う。この地で娘を育てたい。当たり前のように、ご近所さんの声かけがある。どんな最新のセキュリティもかなわない安心がある。(もちろん油断はできませんが)この地から多くの出会いに学びつつ、すくすく大きくなっていってほしい。

 

なかなか人との交わりを持てない今の状況で、産前に思い描いていたことが出来ずにいる。経営としても、このような形で苦しむことになるとは予想していなかった。でも、このような事を、絶対に乗り越えてここで根を張りたいと強く思えるのは、ここ、柳橋だからだ。私たちは骨をうずめる気でここに開業した。これからも、柳橋で時を重ねていくことを楽しみたいと思う。

 

終息した暁には、みんな集まり乾杯がしたい。シャンパンを開けよう、なんでも開けよう。マスクなしで皆さまとおしゃべりしたり、同じ皿から食べられる、平穏な日常を心から待ち望む。娘を連れて行きたいところもたくさんある。実現するためにも、今はきっちり自粛し耐えよう。屋形船にも乗りたいな。

 

ああ、自宅も柳橋に引っ越したい…!

 

 

 

一応の報告をゴリラより

誰からも確認されてはいないのだが、一応産前に誓ったことなのでひとつご報告申し上げたい。ダイエットについてである。

 

私の身長は161㌢。妊娠する前の体重は48㌔であった。この体重は私にとって最も快適に活動できる、ベストな数値である。30歳を過ぎてからは多少の増減はあれど、大体いつもこれくらいの体重であった。基本的にはあまり増減をしない方である。

 

だが不摂生を極めていた過去には激太りし、56㌔までいったこともある。見目にもそれはマズいものがあった。丁度その頃親友の結婚式があり、出席した際の写真が残っているのだが、式用におめかしをしたゴリラが映っている。丸いというか、まあ丸いのだけど、なんかイカつい。ゴリラだ。のちにチンパンジーに嫁ぐことになるのだから良いとはいえ、そうとも知らずにいた当時の私よ、何故その醜態を己に許していたのだろうか。濃い化粧でノースリーブのワンピースを着用し、二の腕をあらわにしたその様は生ハムを携えたオシャレゴリラのようであった。オシャレをしてたならマシね、と思うなかれ、オシャレな人は生ハムなど携えないしまずゴリラでもない。

 

何故そこまで太ったかといえば理由は明快、酒だ。当時は仕事が終わって0時頃から飲み始める。私は空腹では飲酒ができないタイプのため、まずは牛丼の大盛りを食べてから飲みに繰り出していた。そして朝8時頃まで飲むのだが、酒の量はもとより、それによりぶっ壊れた満腹中枢が朝マックやジョナサンへと駆り立てる。朝日を浴びながらいつも思っていた、「なぜ私はファミレスのモーニングで焼酎付きのドリンクバーを頼んでいるのだろう」と。そしてなぜ毎回こんなにも、ハッシュドポテトが食べたいのだろう、と。おぞましい時期であった。この体重では動くことがだるかった。

 

そんな不健康デブゴリラの時期を経て結婚し、「ちょい健康ややゴリラ」程に戻り、神奈川で暮らす間にゴリラとのハーフくらいまでに落ち着いたところで開業することになった。

今度は独立のプレッシャーにやられ、吐き気や食欲不振に悩まされ43㌔まで減ってしまった。医者にもかかったが、結局精神的なものだったのでお店に慣れ始めると同時にそれは解消された。尚この体重ではふらふらした。

 

前置きが長くなってしまったが、この度の妊娠出産における体重の変化である。

分娩前日、入院先の助産師達にヒソヒソ噂されるほど私は肥えていた。何と、このご時世ではありえない20㌔の増加をしてしまったのだ。

 

どこの産院でも10㌔を目安に指導されるというのに、20㌔の増加は大問題である。おかげで妊娠糖尿病の疑いもかけられ糖負荷試験もやった。20㌔と言っているが、最終的に体重計は70㌔という数値を叩き出したので、正確には22㌔だ。

 

現在の体重を申し上げる。54㌔だ。なかなか優秀ではなかろうか。何をしたかといえばただ一つ、余計なものは食べないだけだ。

 

食事は勿論ちゃんととっている。ただ、きっちり食べるのはだいたい二食で、寝起きがもっとも食べ、夜は夫が筋トレ中なのもあってあまり炭水化物を食べない。適度に空腹を感じる時間がある方が、私の場合は「なんかタンパク質欲しいな」とか「生野菜食べたい」など、体が欲する栄養素を感じることができる。冒頭でゴリラ的自伝を綴らせて頂いたが、そもそもゴリラ前の私は比較的スリムをキープした若者時代を送ってきており、当時はとにかく「体が求めるものを求める量で」食すように気を付けていた。大体のゴリラもとい太っちょさんというのは、この声がちゃんと聴けておらずに必要量と要素を勘違いし、いつも満腹を覚えようとする。自戒も込めていうが、だからゴリラなのだ。

産後は単に、食事以外の間食や「これ半端だから…」とか「せっかくあるし…」などの理由による飲食をしない。またお茶か水以外飲まない。コーヒーはブラックのみ可。それを徹底するのと、あとは軽い体操だの、家ではつま先立ちしているくらいのことである。私はほぼミルクのため授乳によるカロリー消費は少ないが、裏を返せば妊娠中はそれだけ食べていたのだ。米やパスタなんぞ一回で300gは軽く平らげていたし、毎食後にデザートと称してスイーツを1、2個食べていたし、それらと別に間食で一食分くらいは食べていた。ここまで食べることを欲するのは初めてであったが、妊娠中とは体の異常事態なのだろう。だからってこれから妊娠する人に20㌔肥えようとする人がいたら止めるけど。

 

免疫のために体に良い物を食べよう!というような番組がここ最近続いている。私はそれが陰謀的にさえ感じてしまう。無論、栄養を考え食事をとることは大切だが、ただでさえ自粛により活動量が減っている今、買いだめや暇などの理由から通常ないしはそれ以上の量を食すならば、完全に毒だと断言したい。

生き物の体は、満腹では負担なのだ。本能的な部分の全ての感性が鈍るし実際の免疫も働かなくなるとさえいわれる。皮膚炎や膀胱炎を起こしたときなどに私は軽く断食するが、結局何をするよりそれが手っ取り早く回復する。痩せる食べ物もない。肥えすぎてるのが体に悪いだけで、痩せていることが正しいわけでもない。

 

ベスト体重まであと少し。ただ産後は体が変わったのを感じているので、ここらであえての減量はやめることにした。とはいえ時短営業で夫が家にいる時間が増え、美味しい物をこさえてくれる今日この頃、再びのゴリラ化だけは十二分に気を付けていきたい。

猫リズム

猫が好きだ。可愛い、とももちろん思うが、それ以上に共に生活しやすい存在というか、仲間のような感覚だ。私視点でざっくり言うと、性に合う生き物のように思う。

 

生まれた時から猫がいた。というより今に至るまで、猫のいない生活をしたことがない。いない生活というのが想像できない。べたべたに可愛がることは昔からしないし、私から触りにいくこともしないが、ふと酒を飲むときに膝にいたり、一緒に寝たり、何かしているときにはむこうも勝手に何かしているような感じが非常に心地よい。視界の片隅にちょろちょろしているあの感じ、適度な距離感とでもいうべきか。

仕事をしようとするとPCに乗ってきたり、出かけようとするとカバンや靴に乗っていたり、スマホが見当たらないと思うとそのお腹の下に温められたりしているのも、どいてくれ!と言いつつ心地よい。

 

過去に何匹と看取ってきた。十数年と共に生きてきた仲間を見送るのは、胸が裂けそうに痛くなる(うちの一匹は22年の大往生)。

 

一人暮らしの時に飼っていたポコという猫との別れは堪えた。初婚の時に飼っていて、離婚し私が引き取って暮らしていた。のちに夫と出会い共に暮らした。私という者の激動の環境の変化を、一緒に経てくれた。ポコは私と夫が籍を入れた翌日に、旅立った。見届けてくれた。私達の結婚記念日は、同時にポコを想う日でもある。

 

自分に言い聞かせるように毎度思う事だが、看取る辛さは、幸せなことだ。猫が飼い主に先立たれてしまえば、どういう事になるか。もっと最悪な最期になり得る。人間とは寿命が違う。自分と共に生きる中で、それをまっとうしてくれたというなら、その辛さは本当に幸せなことなのだ。別れが辛くなるほど、素敵な時間を過ごさせてくれたのだから、心から大切に見送りたい。

 

話はそれるが、実は亀も好きである。夫が苦手なので今は飼っていないが、実家の亀はもう30歳くらいになるのではないだろうか。亀のもつ、あの空気感も私には心地よい。ポカンとしているのだ。何があっても頑としてポカンとしている。刺身などをあげると張り切りも見せてくれるが、人が怒っていようが泣いていようが徹底してポカンとしている。ただ、里帰り中メソメソしていたとき、1度だけ水槽からトコトコ出てきてひょっこりこちらを見つめてきたことがあった。「もしかして気遣ってくれたの…?!」と思うやいなや、母が帰宅しささみをあげようとしたら即去って行った。別に良いけど。

 

よく犬好きな人は犬っぽいとか猫好きな人は猫っぽいとか言われるが、そうなると私は猫に加えて亀っぽいということか。確かに自分の顔は亀に似ている気がする。

 

猫はずいぶん自分勝手だなぁと思うことがしばしある。甘えたいときに好きなだけ甘え、気が向かなければ私のことなど完全にシカトする。でもそういうものと子供の頃から思っているので、いろんなタイプの人に出会っても、「そういうもの」と簡単に思ってしまえる自分がいる。猫や亀以外でもそうだが、人間ではない違う生き物はひとえに皆、人間と異なるそれぞれの時間軸がある。すなわち命のリズムだ。それを違う者同士で共有し、慈しみながら暮らしていくということが、本来の「ペットとの暮らし」なのだろう。私はそのような暮らしが好きだし、自分と異なる命のリズムが重なることで聴こえてくる、音楽のような、例えようのないあたたかな生活を愛しく思う。

 

コロナの事で何もかも切羽詰まっている中、他の動物どころの騒ぎではない!と思う方も多いかと思う。実際私も切羽詰まっている。ただ、猫を見ていると、今日もさぞ当たり前のように「俄然、生きてるだけ」といわんばかりに佇んでいる。今日の飯を食らい、今日の睡眠をとり、今日の遊びを楽しんでいる。

 

逃げも隠れもする必要はない。生きていくだけだ。怖いウイルスだが、いってしまえば逃げようとしても逃げられないのだ。誰しもが明日発症するかも、とか死んじゃうかも、と不安になっている。経済的影響ももれなくバンバンやってくる。先の安心など誰にもない。でもそんなものは、コロナの前から誰にも持たされていない。はじめからないもののことで、急にそれが欲しくなったような違和感。既に感じている人も増えているのではないだろうか。

 

自宅での時間が増えた今、またしてもすっかり、猫に骨抜きにされている。

愛猫家の中にはこの状況で、猫リズムにより仕事のはかどらない人も多いと思いますが、がんばりましょう!

 

 

イケメンと本能

私はどうにも、イケメンが苦手である。別に苦手でもこの人生においてイケメンに追い回されるようなこともないので不便はしないが、いわゆる異性へ対しての「好み」とは何なのだろうかと考えてみたい。尚、人によっては異性ではなく同性への興味という方もいらっしゃることと思うが、私の場合は恋愛対象が男性につき、便宜上、男性についてを異性と呼ばせて頂きたく思う。

 

イケメンが苦手と言うからとて、夫のことを「不細工だから好き」なわけではない。私にとっては夫がイケメンということなのだ(たまには言っておく)。ご存じの方も多いと思うが、私の夫は間違っても知的な雰囲気などはなく、爽やかとか王子様とかいうワードからはかけ離れた、チンパンジー的な男である。どちらかと言わなくても野蛮そうな感じも漂っており、その印象はまったく正しい。

 

イケメンといってよく上げられる有名人について考える。ジャニーズの皆さんやEXILEの岩ちゃん、福山雅治なんか絶対イケメンであろう。そして、それこそが私がもっとも苦手とする顔立ちだ。福山雅治も私のことなど御免被るであろうが、ここはあえて先にこちらから御免被ろうではないか。福山雅治、御免被る!

 

どうも私は目がパッチリした男性を好まないのだ。一重か奥二重の、切れ長な目の人が好きなのである。私自身はまったく記憶にないのだが、母の話によると幼稚園のとき同じクラスの男の子にラブレターを書いたらしく、その相手の男の子は特にモテるでもない、一重の薄い顔だったという。「三つ子の魂、百まで」とはまさにこの事といえる。

 

本能として、父親の匂いを嫌うようになっていくのは生き物が近親相姦を避けるために生まれついて持っているものだという。ひょっとすると、その流れで私はパッチリ顔の男性が恋愛対象にならないのかもしれない、とも思った。私の場合、父が二重でかなりパッチリした顔をしている。

 

そしてひとつ言えるのは、イケメンがうっかり鼻毛が出ていたりする際、ショックが大きすぎるという点も問題だ。「ギャップにときめく」なんてのはあくまでプラスの要素を見つけた場合の話であり、「ヒヨワそうなのにボクシングやってる」とか「バカそうなのに頭良い」とか、もしくは映画のジャイアンのように実は優しいみたいな事である。社会人になってありがちな、「スーツ姿がカッコいいのに私服で会ったらヤバい」とかじゃ困るのだ。あんなに歌って踊って爽やかなイケメン岩ちゃんが、近付いたら実は鼻毛めっちゃ出てる、ではもう耐えられない。これが、夫であれば「鼻毛出てるよ」で済むし何のギャップでもない。別に出ててもおかしくない、と思えるのだ。夫については鼻毛が出ていることよりも、あんなにチンパンジーに似ているのにバナナが嫌いであることの方が驚きのギャップといえる。

 

また、統計的に見ても、私は誰一人とてパッチリ顔の男性とお付き合いをしたことがない。過去お付き合いさせて頂いた男性陣で、パッチリ二重の人は1人もいないのだ。人生でこんなに徹底していることが他にあるであろうか。納豆はおかめが良いと言いながら今日はくめ納豆を買ってきたような女だ。徹底的に一重ないしは奥二重男性を好んできている。(もう一度言うが、別に過去のお相手についても不細工と言っているわけではないよ)そしてそれは、意図して貫いてきたことではなく、無自覚のうちに辿ってきたことだというのが非常に本能的だと感じる

 

 

とすると、今は赤ちゃんでばぶばぶしている我が娘も、既に異性についてタイプというものが組み込まれているのであろうか。夫、すなわち彼女の父親が野蛮気味なチンパンジーであるということは、「父親的要素がない異性を好むのでは?」というこの見解からするに、彼女は爽やかとか知的なイケメンをタイプと言い出す可能性が高い。岩ちゃんや福山雅治を御免被らないとうかがえる。私服でもきちんとしたシャツが多いタイプの男性かもしれない。そんな相手をいつしか連れて来られたら緊張してしまうではないか。うっかりお茶受けにバナナを出してしまうかもしれない。

 

現在、生後3ヶ月の娘は今のところかなり夫に似た顔をしている。実父譲りの私の二重の目はどうやら引き継がれず、切れ長な奥二重の目をしている。低い鼻はすっかり私と似ていて、パーツパーツを眺めるととても興味深い。口の形なんかも夫と似ており、そしてなかなか珍しいますかけの手相も夫から引き継いでいる。

 

意識しても、しなくても。生き物は本能が判断する事がたくさんあるのだろうな。頭で考えるよりも、それはもしかすると確かなものなのかもしれないと思う。

おかんのなりかけ

「赤ちゃんて、いったい何なんだ」と最近よく思っている。生後三か月が過ぎ、体重は出生時の倍以上になり、表情豊かになってきた娘。そろそろ寝返りをしそうな気配だ。

 

私の顔を見て、にっこりと笑う。

説明するのも馬鹿らしく感じるほど、なぜなら自分の知る全ての言葉をもってしても到底表現が出来ないと圧倒されるのであるが、それは今まで見てきたこの世の何よりも愛おしく、私のような者が抱っこをすると喜んでくれる姿は、いつもこちらが愛してもらっている感覚になる。成長を見つめつつ、日々娘に愛されていること。何の取柄もない私だが、娘からもらう愛情は私の至らなさを包み、弱さもそのままに、存在することをゆるしてくれているように感じる。

 

いったい、彼女の目に、私や夫はどう映っているのだろう。父母だと理解しているのであろうか。生物学的にも母親の匂いや声を知っているそうだが、理解というものとはまた違うと思われる。

出産に至るまでの間、この腹の中にいた。産道を通り抜けてくるその日を境に、世で息をしていく。人間の記憶とは、どのように築きあげられるのであろうか。胎の中での記憶はどうしてハッキリとないのであろう(たまにそういうの物語る本とかもあるけど)。

 

彼女と対峙しているとき、私にはあまりお世話をしているとか育児という感覚がない。出会ってまだ三か月の存在である。どうにも時間軸が狂わされているのか、それこそ私自身が母親の胎にいるときから、彼女を知っていたような気持ちに陥る瞬間がある。36歳で彼女を出産するまでの間、いろいろの事を経た。その間は、私は彼女のことを知らなかったはずだ。にもかかわらず、どうしてか、すべてがこのために動いていた流れのように感じ、そしてその流れは有無を言わさぬ圧倒的な力を持っていて、私の持論なんぞいとも簡単に封じ込める。理屈を簡単に超えていってしまう。

 

何かの冊子で、次のようなフレーズを読んだ。

「親とは、赤ちゃんに初めて世界を紹介する人」

そのためには、例えば早期教育に躍起になったり、合理性を考えて育児方法を選ぶのではなく、ただシンプルに在れば良いのだと私は解釈をする。赤ちゃんに媚びたような内容の音楽や絵本は必要なく、穏やかな言葉と生活の音こそが、もっとも最初の刺激にふさわしい。育児の名言はいくらでもある。良しとされている概念も、選びきれないほどある。〇〇式、とか世界中に溢れている。

でも、そのどれでもなく、世界を紹介するのが私の役目であるのなら、私の言葉で語りかけ、私の目で彼女を見つめ、私の耳で彼女の声を聴こう。私の手は彼女に触れるために、私の足は彼女と連れ立って歩むために、私の命は彼女と共に時を過ごそう。

 

近年よく見かける「これだと泣き止む」「これだと笑う」などの評判ではなくて、これから触れていく音楽や絵本も、大切に選んで紹介していこう。「いや、でも自分の感覚なんて自信ないし」と、「誰かが認めた誰かの考え」を自らに遂行してしまいがちなのも気持ちは分かる。私だって自分という人間に自信などない。じゃあ、お手本があって、それに従えば正しいというのか?

自分の人生がそうであるように、彼女の人生はこの世でただ一つで、何かに倣うだけでは充実した生き方になり得ないともう知っている。音楽には音階があるように、美術には色彩があるように、あんな人もいればこんな人もいて、その一つ一つがたった一つしかないものである。私は、人より出来ないことも沢山あるし今だって困り事も多いが、他の人生になりたいとは思わない。同時に、誰のことも否定したくないといつも思っている(ついカッとしてしまいがちだけどね)

 

つたないかもしれないが、私が私として真摯に彼女に向き合うことだけは、私に与えられた力の一つである。それをすれば良い。「これで良いのかな」と頭を抱えて悩み続けることも、親の責任の一つに含まれているのだと思う。最良を与えようとすれば悩む。でも最良なんてものは求められていない。求められているのは、「私」そのものと、「私が母であること」だ。

 

たかだか三か月しか育児をしていない分際で生意気を語ってしまったが、このような状況だからこそしかと考えを明確にしておきたかった。この先、彼女を育てながら多くの悩み、難関にぶち当たるであろう。その際に立ち帰るべき心の指針を、私事極まりないがここに書き記す。

赤ちゃんて、いったい何なのだろう。

さながら全き愛、を具現化したかのような、体は小さくも、強く確固たる存在だなあと、日々感じている。目覚めた瞬間に、横に寝ていた彼女と目が合いニッコリ微笑まれると、朝から泣けてくる。あまりの温かさで涙が出ることを、私は今心から幸せに思う。

 

 

 

 

 

私の無理なこと

私は昔から、「深刻ではないけれど非常に困る場面」によく遭遇する。例えば以前に丸ノ内線で通勤していた頃、夕方の混雑した車内で私の横にお偉いさん風のサラリーマン男性が立っていた。こう言っては何だが、混んでいるのに奥へ詰めることもなく、肩が触れた他の人に舌打ちをしたりしていて感じの悪いオッサンであった。何かの拍子で急ブレーキがかかり、男性が手に持っていた荷物を床に落とし、それを拾おうとした瞬間に男性の頭からは部分カツラが落ちた。

 

おいおい荷物より落としてはいけない物だろう、とずさんな管理を問いただしたくなったが、いくらバカ者の私もさすがに見ず知らずのオッサンにそのようなことは申し上げられない。せめてすぐ次の駅に到着してくれればいったん降車してでもその場から逃げたかったが、運の悪いことに前の駅を発車したての出来事であった。私以外にも目が点になって固まっている人々が、咳払いをしたり、急に携帯電話を取り出したりしつつ震える肩に力を込め、皆気合で押し黙っていた。数分間無言で地下鉄に揺られた。オッサンはカツラを拾うや否やスーツのポケットに押し込んだ。ポケットからチラリとはみ出ているのが視界の隅で確認できる。だからずさんだと言っているのだ。何なのだそのチラリズムは。絶対に直視してはいけない、直視したら無事では済まされない。私は心の中でとっさに「神様、どうにかしてください」と祈った。そして懸命に目をそらそうと車内の中吊り広告を見つめたのだが、そんな時に限ってAGAの広告が吊るされているではないか。あの日の南阿佐ヶ谷から新高円寺までの区間の数分間を私は忘れることができずに今に至る。

 

そのようなことによく遭遇するのだ。そしてその度、私は笑いがこらえきれずにプルプルと震えてしまう。震えるくらいで収まればまあ良い。最悪の場合、もう立ち去る。ダメなのだ。不謹慎かもしれないが、コレ系統の笑いを耐えきれない。

 

思えば学生時代からそうである。教室で喫煙し担任がぶち切れ、私を職員室に呼び叱っている時のことだった。反省風、を装うために、そのようなときはうつむき加減でいるのが基本体勢となるわけで、私の視線は担任の靴に注がれていた。

すると靴に、「2点」と書かれたシールが貼りついているではないか。何の点数だろう、角度的によく読めない。目の前でガミガミ怒鳴っている声はもちろん耳に入らず、私は何の点数なのかだけを気にしていた。20分ほどガミガミ言われ、担任としては話が終わったらしく「おい、分かったな」と言い、足を組み替えた瞬間[ヤマザキ 春のパン祭り]という文字を確認した。

そんなことを十代の私が我慢できるはずもなく、私は大爆笑し、説教はそこから1時間延びた。

 

イカと連動するクレジットカードを作った時も受付のおねえさんがデポジットのことを「デジポットが…」と連呼するし、以前の職場で上司のソムリエがワインのことで真面目に説明しているときには鼻毛が出ているし(名誉のため言っておくがN田氏ではない)、昨日は昨日で、めちゃくちゃガラの悪そうなお兄ちゃんがイキって近くに来たなと思えば目の前でスケボーでこけるし、本当にやめて頂きたい。辛い。もう良い大人だけど、そういうの耐えられない。

 

こういう話をすると、怪訝そうにされる事も多々ある。不謹慎と思われてしまうのであろう。分かっている。笑ってはいけないし、きっと不謹慎に感じられる方々からすれば、そもそも笑うようなことではないのかもしれない。でも、激しく共感してくれる人も中にはいる。ちなみに、私たちは夫婦そろってこのような場面での笑いにはめっぽう弱いため、店関連の事で役所とかの人と真面目な話をする際にはかなり気を付けるようにしている。余計な事は考えずに、気持ちを整えていく。さもないと、どこに伏兵が潜んでいるか分からない。

 

不快に思われた方がいらしたら御免なさい。けっして相手をバカにしているとかではないんです。こういう瞬間は、人間て愛しいなあと思う瞬間でもあるんです。 

 

今日はイースターまた雨が降るのでしょうか。コロナと湿度の関連性ってどうなんだろうか。どうかこれからやってくる梅雨の季節が慈雨となりますように。