37歳都内在住、既婚女の日記

夫婦で自営業の妻。飲食店。1歳と0歳の姉妹の母。少々病み気味、西東京出身、東東京在住。プロテスタント。

MITSOUKO

父方の祖母はとてもオシャレで小粋な人であった。私が成人した年に亡くなっているので、見送ってからはもう久しいが、何かにつけてはふと思う存在である。

 

職業柄、また今は乳児もいるため特にであるが私は香水をつけない。ただ昔から香りというものには非常に興味があった。音楽と同じく、香りひとつで一気に過去がよみがえったり忘れていた人を思い出したりする。記憶へ働きかける力が強いのであろう。

 

祖母はいくつか愛用の香水があった。ほとんどがシャネルの製品であったが、一つだけゲランの物があった。ミツコ、という香水だ。学生時代の私は「ババアくせえ匂いだなあ」とよく言い、その度に「あんたみたいな若造には到底似合わないわね。せいぜい似合う年になった頃、香水くらい好きに買える人生にしなさいな」と言われた。

晩年の祖母は骨髄液のガンを患い、入院していた。月日と共にやせ細るのが目に見えて分かったが、気の強さを失わない人であった。

死期がそれなりに分かりつつあったある時、外泊許可が下りた。病院と自宅は車で15分ほど、外に出る瞬間は車の乗り降りのタイミングだけである。トータルで5分あるかないか。

冬であったので、私は「あったか靴下」とか「あったか半纏」みたいなものを準備して迎えに行こうと思っていたのだが、事前に祖母に呼び出され、言いつけられた。

「恵さん、クリーニング屋に預けてるファーのコート、ミンクよ、茶色のやつ取ってきて。靴はローヒールの物から何足か持ってきて、当日選ぶから。お洋服は着たいブラウスがあるからそれ持って、○○さん(よく行っていた服屋の店員さん)にスカート選んできてもらって頂戴。」

私はギョッとし、「寒いよ、あったかくしないと。それに外出るの一瞬じゃん」と言うと

「うるさいわね、私はあと何回オシャレできるか分からないのよ。言う通りにしなさい」と怒られた。言われるがままにメイク道具も持って行き、そしてその際に持ってこいと言われた香水がミツコであった。

 

食事もままならず、箸を持つことも震える手で、当日きっちりと化粧をしていた。祖父はもっと前に亡くなっているのだが「私、旦那様にすっぴん見せられる女の気が知れないわ。私ずっと寝化粧もしてたもの、なのに入院中すっぴんで人前にいるの、本当に嫌よ」とブツブツ言っていた。

 

そうして数日の外泊を楽しみ、病院へ戻り、時が来て旅立った。生前に「恵さん、死に化粧のことだけど」といきなり言ってきたので私はブフっと飲んでたお茶を吹いた。

「知らない人のメイク道具でされるの嫌なのよ、ちゃんと私の愛用品でやって。できればあなたと、おばちゃん(祖母の妹)とにやってほしいわ。ちゃんと香水もね、多分瓶は棺に入れられないけど」

 

言われたときには冗談のようにかわしたが、当然心に深く残っていたのでそのようにした。納棺の際、私はミツコを選んだ。共に入れられた花の香りと入り交じり、ずいぶんと派手な匂いの葬儀となってしまったが、祖母が生前していたように手首にプッシュした。

 

ミツコは60歳くらいにならないと似合わない香りのように思う。いまだに私には似合わない。ただ、家に常備している。そして心が弱るとき、大きな決断をするときや不安で落ち着かないとき、家の中だけでワンプッシュする。 

 

開業するとき以来、何年もミツコには触れていなかったが今回のことを受けて先日久しぶりにワンプッシュした。久々に嗅ぐ香りが鼻の奥を刺激する。少し涙が出た。ああ、不安だったのだ。

 

相変わらず、ババアくせえ匂いだなあ、と思った。そう思った自分に安心する。

まだまだ私は落ち着きを得るには早いのだ。

 

祖母が健在であったら、この状況に何と言うだろう。きっとめそめそする私に「ちゃんとしなさい」と言うのだろう。

たまには先に旅立った人を想うのも、良い。 但し、祖母を見習わずにすっぴんにてこれを書いているが。